石巻市雄勝町の静かな漁港を望む高台に立つ体験型宿泊施設「MORIUMIUS(モリウミアス)」。単なる宿泊施設としてでなく、また震災の被害を受けた地域の復興という側面だけではない、地方の価値や魅力をこどもたちへの教育を通して、顕在化させ継続させていこうとする試みが行われている。同施設を運営する公益社団法人MORIUMIUSの理事の一人である油井元太郎(ゆい げんたろう)さんに、震災を経て、いかにして同施設を計画するに至ったか、同氏のバックボーンとあわせて話を聞いた。

記事のポイント

  • 東日本大震災後、ボランティアとして石巻市雄勝町のこどもたちの教育支援を開始。
  • 地方での仕事にはこれからの時代の生き方にマッチする可能性も。
  • 日本の地域の営みや自然が、将来、日本のブランドとなる未来。

油井 元太郎

公益社団法人MORIUMIUS 理事・フィールドディレクター
1975年東京生まれ。アメリカで音楽やテレビの仕事を経て、キッザニアの創業メンバーとしてコンテンツの開発に取り組む。
2006・09年に東京と甲子園にキッザニアをオープンさせる。2013年より宮城県石巻市雄勝町に残る廃校を自然の循環や土地の文化を体感する学び場として再生。地域資源をいかしたこどもの教育を通じた町の新生を目指す。

教育支援ボランティアを通して、震災を乗り越えた廃校に出会う

──油井さんが同地で携わった震災復興へ向けたボランティアと、モリウミアスを立ち上げるきっかけを教えてください。

私は宮城県に縁はなく、震災がきっかけでこの地を訪れることになりました。仙台出身の友人を通じてボランティアとして炊き出しを避難所で行い、被害が大きい石巻の沿岸部雄勝町にたどり着いたのが2011年の4月頃。町は壊滅状態であり、住民の方と出会ったのは避難所でした。その後、雄勝中学校の校長先生と知り合ったことがきっかけで、授業を再開することになった高校で昼食を届けることになります。当時は石巻の給食センターも被災し、避難所でおにぎりやパンばかりの生活を送る生徒に、学校にいる時くらいは暖かい食べ物を食べさせてあげたいという校長先生の願いがありました。ボランティアを行ううちに、中学校3年生の受験勉強を手伝うことにもなり、地元のこどもたちに寄り添う時間が増えていきます。放課後塾をやることで、生徒と1〜2時間一緒にいると、だんだんと関係性も深まっていく。2012年には、雄勝町内の空き家を借りてそこを拠点に、教育支援の団体としての活動が発展していきました。

その頃から、現在、MORIUMIUSで行っていることのスモールスケールでの取り組みは始まっていた。例えば、町に戻り始めていた漁師さんにお願いして、こども達と一緒に漁に出て、拠点の家で料理したりなど、地元の小中学生へ向けた活動をしていました。そうこうしているうちに、2012年の後半、雄勝町の高台に廃校(旧桑浜小学校)が残っているという話を聞き、2013年の春からその校舎の改装を手掛け始めます。改装には地元のこどもたちも加わり、屋根や壁面材のスレートを磨いたり、水浄化用の水路のための瓦を一緒に砕いたり、改装していくプロセスも学びの一部になりました。

当時、震災によって町の人口は著しく減り、これからも人はいなくなるのではないかという予感がしていた。しかし、廃校のある高台を始め、海と山の自然に囲まれた町のロケーションは素晴らしく、こどもたちが自然の中で様々なことを学べる環境ができれば、それが復興や地域のつながりを再生させていくことになるのではないかというイメージも湧いていました。

校舎は、2002年に廃校となった後、同校の卒業生の親族が法人で買い取っていて、民間が保有していたことで2013年まで残っていたのは運命だったと言えます。木造校舎はメンテナンスに手間がかかりますし、廃校後に取り壊される可能性もあったでしょう。震災で残っていたことを含め、この場所と出会ったのは不思議な縁だったと思います。

こどもたちがサスティナブルな生き方を学べる場所

──この校舎で行う教育プログラムはどのようなものをイメージして進めていったのでしょうか。

最初から一貫して考えていたのは、人間の生きる骨子となるような「サスティナブル(持続可能)」な暮らし、サスティナブルに生きる力を育む場所というものです。生きることの原理、原点を体感してもらう学び場。そこではこども達が森の中で木を切って、それで火を起こし、田畑と海から採ってきた食材で料理する。当時はまだ、地域が本当に大変な状況であり、具体的なことをじっくり決めてから動くよりも、とにかく1日でも早く、この場所をカタチにして人が滞在できるようにするのが大事だと感じていました。

施設ができていったり、様々なプログラムができるようになったのは、人との繋がりが大きいです。当初から協力してくれていた料理人の人たちは継続して訪れてくれますし、アーティスト・イン・レジデンスも始まったのはここ1年程で、今も様々な繋がりが活動の幅を広げていってくれています。自分たちでできることは限られていますし、私も教員免許を持つ教育者でもありません。施設をつくる前から、色々な人を巻き込んで、受け入れ、協力してもらうことは想定していました。

──支援を求めることを含め、特別に施設のことを広報したり、発信したりしているのでしょうか。

目立った発信はFacebookくらいで、口コミで様々な人が知ってくれているのではないでしょうか。自分たちの周りの人に、助けてほしいとか、応援してほしいと積極的に言い続けていれば、寄付や会社としての協力など、多くの人は反応をしてくれます。

一方、教育プログラムについては、地元の人々の協力もとても大事になっています。放課後塾を続けてきたことで学校や地域と信頼関係が生まれプログラムを一緒に行うことができたり、通っているこどもの親に協力してもらったりしているうちに、地元で「町のこどもたちのために色々な活動をしてくれている団体」というイメージが少しずつ浸透していったように感じます。

廃校の再利用が決まってからは、同校の卒業生が関心を持ってくれるようになりました。周辺で協力してくれる人の多くは、震災復興というだけでなく、自分の出身校を立て直してくれているという見方もあり応援してくれていると思います。

──隈研吾氏を始め、様々な建築家が建物づくりに携わっていますが、きっかけは何でしょう。また、どのように建築計画を進めたのでしょうか。

これもまた人づての紹介です。2013年頃はまだ震災の被害も広く残っている状態で、協力してくれる人が多かった。そういった意味では、震災から時が経っていなかったのも、協力いただいた縁としてあるかもしれません。
マスタープランを手掛けた隈氏は、東京大学の生徒や国内外の大学の教員・生徒併せて50人が一同に集まり、施設としての基本なコンセプトを伝え、あとはそれぞれがアイディアを出してプランをつくってくれました。全員ボランタリーで関わっているが故に、プランに対して、どこまで受け入れるかは自由でした。思想や資金面などから「やらない」という選択肢もとれるというのは特徴的だったと言えます。イーブンな関係で進められたことは面白いと思っています。マスタープランだけでなく、施設内の様々な箇所に設計やデザインで協力してくれた建築家が20名ほど関わっているというのも珍しいのではないでしょうか。
MORIUMIUSという施設が、常に進行形であるため、いろんな人が出入りして、その度に変化していく。直接的にこども達に関わるかは別にして、全員が先生のような存在で、より多くの人が関わって、様々なノウハウや技術が取り込まれたほうが教育価値があると考えます。

──現在、MORIUMIUSで働くスタッフの皆さんは、どのように採用され、働かれているのでしょうか。

今、働いているスタッフはMORIUMIUSが学校だった時の卒業生もいれば、関東から移住してきた人材もいます。地域に人材を募集するということは、こちらの地域に住んでもらうことですし、地元の人口が減っている状態であることも含め、求人は難しい。モリウミアスがオープンした2015年頃は、東北への注目も高く働くことへの関心も高い印象でしたが、今はなかなか難しい現状です。最終的には、人を介して紹介してもらうことが多く確実です。インターネットなどで広く募集することもできるとは思うのですが、長期で定着しづらいことが多い。

スタッフには、宿泊者が多い春と夏は一生懸命受け入れる。そして秋から冬の寒い季節など、宿泊者が減る時期は、副業ややりたい事に取り組むようにすすめています。例えば料理人は、1〜2カ月の間、県外のオーベルジュに修行に行ったり、地元の漁業に半日携わり、残りの半日はここで働くなどフレキシブルに活動するスタッフもいます。色々な刺激を受けて経験を積むことが、こどものためにもなるので推奨しています。2018年の1〜2月は施設としてはクローズしようと考えていて、より別の仕事へのトライも増えるのではないでしょうか。

──地方で働く人材を探すことで困難なことはありますか。

移住して働くのではなく、またフルタイムでコミットするのではない、新しいカタチで携われるような仕組みがあるといいと思います。数年前までは震災復興関連で、多くの企業から石巻に出向してくる人も多かったですが、その数もだんだん減ってきています。しかし、実際にこの地域を継続させていくには、働く人はこれからも必要です。都市部に集中する人が、地方で働くことも良いのではないでしょうか。企業と地方、地域の新しい関係についてもこれからつくっていくべきだと考えます。