生み出した人気商品は「九州パンケーキ」に「九パン(九州の素材だけでつくった食パン専門店)」、手がけるイベントには「九州廃校サミット」に「九州畳サミット」。そして、処女作となる本のタイトルは「九州バカ」。

これほどまでに「九州」を冠につけるのは、村岡浩司さんが九州に可能性を感じ、「九州で戦っている」証にほかならない。「九州の地域課題をビジネスで解決したい」と語る事業家、村岡浩司さんがこれほどまで九州にこだわるに至った経緯と理由には、地方創生の鍵となるコンセプトが散りばめられていた。

記事のポイント

  • ローカル(地名)からリージョナル(地域)へ。視点をあげることで生まれる可能性
  • 地元を守るために外に出る。外に出るために地元の価値を深く考え、可視化する
  • 九州パンケーキで生まれた地域概念を畳産業に展開。廃校利用も九州全体で高め合う

「商店街」「宮崎」から「九州」へ。地元意識が拡張

村岡さんは、宮崎の名物料理「レタス巻き」発祥の店「一平寿司」を営む家で生まれ育った。家業を継ぐのが嫌でアメリカに留学、学生起業をするものの紆余曲折の末、28歳で廃業する。その後実家に戻り、寿司職人としてゼロからのスタートを切った。

その後、昔の伝統を守るだけでは時代に取り残されると感じた村岡さんは、新たな飲食部門を立ち上げる。今では、コーヒーショップやレストランバー、蕎麦、九州パンケーキが食べられるスイーツカフェなど多種多様な業態で飲食業を営むが、最初の挑戦はタリーズコーヒー。九州初となるフランチャイズ店の出店だった。その際に、村岡さんは「ここを借りたい」と何度も足繁く通ったビルオーナーの方との出会いがきっかけで、まちづくり活動に足を踏み入れる。当時は、年間300回ものイベントを開催して、少しでも商店街の活性化をしたいとがむしゃらに活動した。

「これまでばらばらに開催していたイベントを、商店街のみんなで一緒に行うことで、もっと幅の広い活動ができるようになりました。わたし自身もまちづくり活動に情熱をもっている若者としてメディアに取り上げられることも多くなる一方、街の衰退はとまらず、自分たちの活動が焼け石に水だと感じることもありました。」

そんな折、宮崎では2010年に口蹄疫が発生、2011年には鳥インフルエンザや新燃岳噴火など、観光業界や飲食店が大打撃を受ける災害が続いた。「宮崎だけで商売を展開していくのには限界がある。これからは外のマーケットに打って出たい。どうせやるならば、九州各地に点在する素晴らしい素材を繋げて、一つの力として表現するようなプロダクトとしたい。」と考えた村岡さん。しかし、コンセプトは固まったものの、不慣れな商品開発は困難を極め、「いったい何を作ればいいのか?」という葛藤の日々が続いた。

突破口となったのは海外視察。ハワイのオーガニックスーパーを視察していた時、10種類の穀物を使った「10 Grains Pancake Mix(10の穀物のパンケーキミックス)」という商品に目が釘づけになった。「そうだ、九州は7県だから7つの穀物を掛け合わせたら面白いかもしれない!」。パンケーキブームの波がやってくることも感じていた村岡さんは、「九州の素材だけを集めて、本当に美味しくて安全なパンケーキミックスをつくろう」と思い立つ。

そうして生まれたのが、今や台湾、シンガポールなど海外でも、その名を冠したカフェに行列ができる「九州パンケーキ」だ。2012年、発売と同時にSNSで拡散され、メディアにも数多く取り上げられてあっという間に全国区に。パンケーキミックスの製造販売とカフェを合わせて、発売から5年でゼロから数億円規模の事業に育った。販路が広がっているだけでなく、親子で参加できる料理教室による地道なファンづくりが奏功し、コアなファンが増え続けていることも特徴的だ。

しかし、成功を手にしたといえる現在地は、村岡さんにとっては序章に過ぎない。必要にかられて、商店街から宮崎、宮崎から九州へと”地方”の定義をスケールアップし、ようやく手応えをつかんだ九州”リージョナルブランド”のスタートだ。また、九州パンケーキの予想以上に早く広がるムーブメントに、地方が東京を介さず、直接世界と繋がる可能性も確信した。

グローバル化する世界だからこそ“Think regionally”

ここで、村岡さんのバイブルのような1冊を紹介したい。約60年前に発行された「Whole Earth Catalogue」の最終号である。1968年〜1972年まで刊行された「Whole Earth Catalogue」は、その名の通り地球上のすべての商品カタログであり、今や伝説となっている本。そこには大切に、且つ何度もページをめくった跡があった。

「WHOLE SYSTEMS」「LAND USE」「SHELTER」「SOFT TECHNOLOGY」など、目次のタグにはグローバル化に向かっていた世界におけるキーワードが並んでいる。第二次世界大戦が終結した後の戦後復興の時代は、自分たちの国のことだけを考えていればよかったが、1960年代後半以降、世界に思いを馳せる若者たちが増えていった。このカタログの制作者であり、後に「グローバル・ビジネス・ネットワーク(GBN)」を設立することとなるスチュアート・ブランドは当時30歳。ここには、当時の社会課題を解決しようとするアイデアのヒントや、世界中に自分のサービスを広げていきたいという若者たちの情熱が表現されている。

パラパラと眺めてみると、まるで当時の未来である今を予測していたかのようなコンテンツもあって驚く。村岡さんは、今でも時折この本を眺めては、アイデア創出のヒントを得ているそうだ。

裏表紙には、あのスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で卒業生に向けたスピーチに引用して有名になった「Stay hungry. Stay foolish」の言葉がある。スチュアートと彼のチームがWhole Earth Catalogueの発行を重ねて、最後に残したメッセージがこの言葉である。スティーブ・ジョブスが生涯「そうありたい」と願っていた大事なメッセージが書かれているページを前にして、この本の素晴らしさ、ユニークさを語る村岡さんは、まるで少年のようなきらきらと光る瞳で興奮気味だった。

そのうえで、村岡さんは60年経って世界は大きく変わったと話す。
「最終号の表紙にはアポロ宇宙船から撮影した美しい地球の写真、そして背表紙には、この言葉と共にまだ朝早い田舎道の写真がありました。誰もが見たことのあるような平凡な田舎道の写真です。この本から伝わってくるメッセージに心打たれました。スチュアートは、自分がどこに住んでいても、自由にグローバルを想像することはできる。“Think Globally, Act Locally”の概念を伝えたかったのではないでしょうか」

「それが今では、インターネットが生まれて誰もが世界を知ることのできる時代になりました。“Think Globally”はテクノロジーのお陰でリアリティを持って誰もが感じられる時代です。一方で、自分の足元をみると、日本の地方都市は厳しい現実と直面している。そんな今だからこそ、自分自身の住んでいる場所の可能性を深く考える“Think regionally”が重要な時代がやってきているんじゃないかと思うのです。埋もれているローカルの可能性を可視化し、それをより広い視野、高い視点で見て、リージョナル(地域)に考えてみると、また新しい発見があります。」

リージョナルに思考する。その対象が、村岡さんの場合は「九州」という地域だった。これほどまでに多様で、可能性に満ちた島はないという。