記事のポイント

  • 長野県塩尻市に、市民が交わり『こと』や『もの』を生みだすシビック・イノベーションの拠点「スナバ」が誕生
  • 施設の運営支援は東京でコワーキングスペース兼コミュニティスペースを提供しているImpact HUB Tokyoに委託
  • ブートキャンプやメンタリング制度も開始予定

誰もがイノベーションを起こせる場づくり

2018年8月、長野県塩尻市にイノベーションの拠点となる施設がオープンした。アイデアを現実化するための革新的なシステムを持つその場所の名前は、「スナバ」。子どもが公園で砂場あそびをするように、作っては壊すというプロセスを安心して繰り返せる場、そしてコンピュータの分野での「サンドボックス」、つまり、守られた領域の中でプロトタイプを仮説検証しながらブラッシュアップしていける場所という意味を持つ言葉をかけて付けられた名前だ。

「スナバの役割は、シビック・イノベーションの拠点です。イノベーションとは、一部のカリスマだけが起こすものではなく、志を持つ生活者の方々、行政職員、民間企業、教育機関、NPO法人、アーティストや起業家の方たちなど、社会を構成する誰もが起こせるものです。このような多種多様な人や団体を『市民』と呼びます。そして、市民が多彩色に交わることによって生まれるさまざまな『こと』や『もの』を、私たちはシビック・イノベーションと呼んでいます。」

そう話すのは、スナバを運営するImpact HUB Tokyoのコミュニティ・アントレプレナーシップ・プログラムマネジャー(以下コミュニティマネジャー)、岩井美咲さん。

Impact HUB Tokyo 岩井美咲さん

ただの「新しいアイデア」というだけではなく、「持続可能性」と「社会的効果」を両立する事業やしくみを生み出し育てることを狙いとするのも、スナバの特徴だ。ここには「コワーキング」、「アクセラレーター」、そして「リビングラボ」という3つの機能がデザインされており、その3つがうまく回りだすと、事業者である市民から社会を変えるパワーを持つイノベーションが生まれ、その振動によってまた新たなシビック・イノベーションが誘発されると考えられている。

志を事業に育てるコミュニティマネジャーが常駐

そもそも、塩尻市の施設としてこのようなオフィスが生まれたのはどのような背景があってだろうか。塩尻市役所の古畑久哉さんは、その経緯についてこう説明する。

「11年前、『塩尻インキュベーションプラザ』という、ICT企業が集積するインキュベート施設を作りました。一定期間、市内に会社を立地していただくのが条件だったのですが、トータルで50社ほど入居したのに対し、数社しか定着しなかった。その原因を探ると、市内にレンタルオフィスがないということが見えてきました。商店街の空き店舗のマッチングはしていたのですが、ICT企業としてはセキュリティが心配で入居できないのです。そこで、市の政策としてレンタルオフィスをつくろうという話になりました。」

塩尻市役所職員 古畑久哉さん

こうして新たな施設の設立が決まった。3階建ての物件すべてをレンタルオフィスにするのではなく、個人の起業家やフリーランサーの利用も想定して、1階部分はコワーキングスペースにすることも決定。多様な人々が出入りする中で、課題を共有したり、新しい取り組みが生まれたりすればいいという発想からだった。

「その当時はまだ、われわれ行政が事業指南などはできないと思っていたので、どこかノウハウを持つ会社と一緒作り上げていくことを目指すべきだろうという考えでした」と、古畑さん。リサーチの結果、行き着いたのがImpact HUB Tokyoだった。

Impact HUB Tokyoでは、2013年より東京都目黒区で「Impact HUB Tokyo」というコワーキングスペース兼起業家のコミュニティスペースを運営している。ここでは、単に仕事場を提供するだけではなく、コミュニティマネジャーが各メンバーの事業の進度や速度、課題や問題を把握。このメンバーをほかの誰とつなげれば問題の解決や事業の進展につながるのかを考え、相互扶助、すなわち互いに助け合う機会を設計するという支援も行っているのが特徴だ。

新たな施設の設立を塩尻市から打診されたときのことを、Impact HUB Tokyoの創設者である槌屋詩野さんはこう振り返る。

Impact HUB Tokyo 槌屋詩野さん

「みんなが集まってワイワイがやがやするコミュニティスペースではなく、持続可能で社会的インパクトのある事業を建てたいという人たちが集まる場所を想定するのなら、その志を理解し、きちんと伴走してあげられるスタッフの常駐は必須だとお答えしました。今回、コワーキングという空間をつくるわけですが、オフィスというハードウェアよりも、どんな人が運営していて、どんな人が集まって、どんな文化が生まれるかというソフトウェアの部分が重要だと、私たちは考えています。Impact HUB Tokyoの特徴は、そういった空間を運営するポジションの人材育成に大きな投資をしていること。私たちが関われる期間は限られますので、塩尻市職員の方が岩井のようなコミュニティマネジャーになるように、ノウハウの移譲と人材育成の分野で、運営支援という形をとって関わらせていただくことにしました。」

まず、施設のコンセプトを想定される利用者のニーズに近づけるため、塩尻市圏域でイノベーターとして活動している人やステイクホルダーにインタビューを実施。潜在的に求められている機能や現在の状況下での問題点を分析した。その結果、「事業を始めるにあたり、批判されそうな気がして安心してそれについて話せる場がない」、「人に見せるためには、事業内容をもっと具体的にしないと相手にされないんじゃないか」という不安を抱えている人が多いということが見えてきた。

「膨大な量のインタビューからあぶり出されたのは、塩尻圏内には、安心して『作っては壊す』という作業ができる場所がないのではということ。それならば、地域に貢献するイノベーターを生み出すために、いっぱい失敗してもらい、いっぱい成功もしてもらおう。そういうカルチャーを根付かせていこうということになりました。そのコンセプトから付いた名前が、最初にもあげた通り『スナバ』となります。」

スナバ1階のコワーキングスペース

建物は3月に完成。5月からはプレオープンという形で、約50人の起業家やフリーランサーが仮登録した。8月のグランドオープンまでの3ヶ月間は無料で利用してもらい、実際の使い勝手はどうか、改善のための提案はないかなど、テストランを行う。その最初のメンバーたちの写真と事業に対する思いは、エレベーター前の壁で見ることができる。

新たなメンバーになるには、スナバ内覧ツアーへの申込みから始まる。施設を見学しながら、スナバのフィロソフィーや、この場所で起こしていきたいイノベーションについて明確に説明する。利用希望者がそれに共感すると、メンバーとして登録できるという運びだ。審査や選考などはないが、スナバのスタッフが1時間30分ほどのインタビューを行い、今どんな事業をしているのか、なぜそれをするのか、どういう結果を想定しているのか、そしてどのようなリソースが足りていないのかをヒアリングする。そして、その人が提供できるスキルやアセット、必要としているリソースなどを理解し、人を紹介したり、場合によってはイベントやプログラムを企画。このプロセスによってその人の事業が加速する支援をしたり、まったく新しい施策や事業、成長を生み出すことが可能となる。

つながりがイメージの現実化を加速する

このようにして加速された事業のひとつに、「HYAKUSHO BAR」がある。これは生産者である農家と消費者を直接つなぐことにより、生産者は出荷後に自分の野菜がどのような人に届いているのかを知り、消費者は普段何気なく買っている農作物のつくり手の思いについて知ることで農家さんのファンになってもらう……というしくみづくりの事業だ。企画者はメンバーでWATÉ代表の木下直紀さん。

「木下さんの想いに答えたのが、京都で伝統芸能のプロモーションに関わっていた地域おこし協力隊でMITATEの田中暁さんと、伊那市のメディアクリエイターでヒトコトデザインの小澤純一さんです。田中さんがイベントを企画し、小沢さんがメディアのコンテンツを手がけることで、農家さんを招いて話を聞く「HYAKUSHO BAR」が実現しました。いろいろな人が持っているスキルやリソースを合わせることによって、木下さんがやりたい事業を動かしていったこの企画は、多様な人が集まって議論しながら前へ進んでいくシビック・イノベーションの一例なのだと思います。」と、塩尻市職員でコミュニティマネジャーの三枝大祐さん。

塩尻市役所職員 三枝大祐さん

今後スナバでは、事業を創造するうえで必要な思考のフレームワークやツールを学びながら仲間と切磋琢磨し、事業をブラッシュアップしていくようなブートキャンプを立ち上げたり、個人的にじっくりと事業について相談できるメンタリング制度も始める予定だ。

「目黒で実際にブートキャンプをやってきて思うのですが、このプログラムがあることで、コミュニティの文化がずいぶんと変わるんです。成長しようというメンバーの意欲が満ち溢れてくる。だから、私たちが塩尻でこのプログラムをローンチすると、メンバーそれぞれが持つ価値観がより強く反映されて、コミュニティ自体もずいぶん変わっていくと思います。それが今から楽しみでなりません。」(槌屋さん)

●スナバ 概要

取材・文:はっさく堂