この記事の目次
記事のポイント
- 移住と起業が地域おこし協力隊合格の条件
- 地元の人々が投資家になって起業を促し、顧客になって支える
- 過疎化が終わった邑南町は日本のトップランナー
島根県邑南町は、中国山脈の山あいに位置し、朝は雲海に包まれる農業のまち。このまちは今、数年間で20店舗近くのお店が開業し、毎年92万人が訪れる美食のまちへと変貌を遂げつつある。その起爆剤となった町営イタリアンレストランAJIKURA開店までの紆余曲折をお伝えした前編に続き、後編ではAJIKURA開業のために編み出されたテーマ型地域おこし協力隊「耕すシェフ」や有機農業が学べる「農の学校」の生徒、あるいは「よい食材のある場所に店を持ちたい」と邑南町に移住した若き料理人の方々の起業ストーリーにフォーカスする。そこから見えてくるのは、自分たちの地域への誇りを基盤に、外に頼りすぎず自分たちでなんとかする、強くてかっこいい地域社会の姿だ。
前編(Episode1.東京の百貨店の言いなりはだめだと気づいた 2. 「高級レストランは東京にある」固定観念からの脱却 3. 独自コンセプト「耕すシェフ」で地域おこし協力隊を募集)も合わせてお読みください!
Episode4.合格の条件は「定住」と「起業」
邑南町食と農産業戦略室調整監 寺本英仁さん
「耕すシェフ」と銘打ち、地元の農業や農産物に価値を感じる料理人を集める際、寺本さんは定住と起業を合格の条件に掲げた。これは、放っておいても起業を目指すような優秀な人材、という意味ではない。実際はむしろ真逆だったようだ。
「邑南町では地域おこし協力隊の募集を出して指をくわえて待っているのではなく、こちらから料理学校に出向いて採用します。料理学校を出る子はみな東京に行きたがりますし、いまは料理人が引く手あまたなので学校を出たてでも月給20万円、ボーナスももらえる世界。そんな中、邑南町に来てくれるのは、まだ目標が定まっていない、東京のホテルやレストランに行かなかった子なんです。」
耕すシェフたちが働く里山のからだに優しい発酵レストラン「香夢里(かむり)」
目標が定まっていない人たちを集めて、活躍できるように地域で盛り立て、ずっと邑南町で暮らしてもらいたい。寺本さんはそう考えている。そして、活躍してもらうためにも初めに「起業します」と宣言させるのだという。
「香夢里(かむり)」の道向かいにある直売所「香楽マルシェ」
こうして採用された若き料理人たちは、一般社団法人食と農人材育成センターが運営する「食の学校」「農の学校」で学びながら、AJIKURAやセンターが運営するレストラン「香夢里」で働く。「食の学校」では、NHK今日の料理などで活躍する発酵料理家 井澤由美子さんや、日本におけるローカルガストロノミーの草分けかつトップランナーである「庄内イタリアン アルケッチァーノ」の奥田政行シェフを招いたイベントや料理教室を開催。協力隊のメンバーは一流の技と味に刺激を受けながら、AJIKURAや香夢里の紺谷(こんたに)忠司シェフのもと日夜腕を磨いている。
「香楽マルシェ」で食材を仕入れる紺谷忠司シェフ
少々話が横道にそれるが、「農の学校」についてもふれておきたい。「農の学校」は、有機農業に特化して農業を学べる全国でも珍しい研修システムだが、寺本さんはこの成り立ちにも関わった。
「当時、僕は商工観光課にいたのですが、『定住フェアに来る移住希望者で農業をやりたいひとは、多くがオーガニックをやりたいと言う。うちでサポートできるのは慣行農業なのに』と困っていると聞きました。そこで、商工観光課として管轄下の観光農園を借り受けて、有機農業を始めました。」
始めてみると、トマトやトウモロコシがよくできた。ところが「規格が整っていない」という理由で通常のルートでは卸せない。そこで寺本さんは有機専門の販売会社をつくった。出口をつくったことで有機農業は栄えた。また、販売会社には今、全国300農家から有機農産物が集まり、当初2000万円ほどだった売り上げも1億円をゆうに超えているという。
この農の学校が、「耕すシェフ」を集める際のフックのひとつになっていることは言うまでもない。また、学校は地域住民に開放されているため、高く売れる有機農産物のつくり方を学び、道の駅瑞穂で売れば収入が増える、と、農地を持つ高齢者の生きがい向上を後押ししている。さらには、すでに他の場所で開業しているプロの料理人を惹きつけるまちの魅力にもなっている。
Episode5.投資家も顧客も地元にいた
さて、本題にもどり、耕すシェフ地域おこし協力隊として邑南町に移住し、飲食店の起業にいたった若者のケースを2つ紹介したい。1つめは、有機農家志望で静岡から移住し、現在は蕎麦屋を営むIさん夫妻のストーリーだ。
「農の学校に入学してもらって有機農業を勉強していたんですが、『虫が嫌いだし、農業ではなかなか安定した収入を確保することができず、定住することは難しい』とわかった。そこで、食の学校に移った。そうしたら、『静岡で蕎麦が好きだったから』って蕎麦をやり始めたんですよ。蕎麦文化のない米どころにきて何をやってるんだろうな?と。定住できるのだろうか?と不安に思っていました。」
ところが、地域おこし協力隊の任期が満了する3年を迎える頃、Iさんが暮らしていた地域の代表者たちが寺本さんを訪れた。
「『あのI夫妻はものすごく地域のボランティア活動に参加してくれたり、草刈りもよくやってくれて、帰ってしまうとうちの地域は困るんだけど。』って。そんな一面あったんですかって驚きました。『なんとか残すことできんかなぁ』って言うので、『彼は就職とかしないと思いますよ』って答えたら、『何がやりたいんだ?っ』て聞くんですよ。だから、『蕎麦がやりたいみたいですよ』って話したんですね。そしたらなんと『みんなで蕎麦屋つくっちゃる』って。」
地域の代表者たちは、I夫妻のために本当に蕎麦屋をつくってしまった。空き店舗の改修費用や調理器具、初期の運転資金を、集落の450人から有志による出資を募り、集めてしまったのだ。地縁を基盤にしたリアル&ローカルクラウドファンディングともいうべき展開だ。
「I夫妻は、全然お金を出さずに蕎麦屋をオープンしてしまいました。家賃を払っているので、出資したお金はいずれ出資者のもとにもどります。それでI夫妻は蕎麦屋をしたいという希望を叶えて集落に残り、集落の人は近所に蕎麦屋ができて暮らしが豊かになった。さらには、『蕎麦をつくればあそこの蕎麦屋が買ってくれて米よりも金になるから』って、地区の半分くらいの農家が蕎麦をつくりはじめた。すごい変わりようです。」
2つめは、パン屋「てらだのぱん」の寺田さんのストーリー。「20歳ぐらいから起業したかった」と話す寺田さんは、たまたまテレビで邑南町の耕すシェフ制度を目にして、神戸から邑南町にやってきた。
「てらだのぱん」を起業した寺田さん
「パン屋での経験は多少あったけれども料理人としての経験は全くなかった彼が、就任1日目に『料理長のパスタがいまいちだ』なんて生意気なことを言うんですよ。僕もみんなも慌てました。場をおさめるために、『寺田くんもまかないでパスタつくってみてよ』って作らせたら、いまいちなパスタを作ってさらにみんなをドン引きさせてしまいました。すごい浮いちゃってて、どうしたものかと思っていました。」
そうこうするうちに、前述の蕎麦屋の集落とは別の地区の自治会の人が「うちも蕎麦の集落みたいに出資型でパン屋をやりたい」と寺本さんのもとへ訪れた。
「『少しだけど、パン屋での経験がある子がいますよ』って言いました。経験が少なくても、ということで自治会は出資を募り、空き店舗を使って店をつくり始めた。1年ぐらいは本当のところはバレないかな?と思っていたら、2ヶ月ぐらいで『パンがふくらんでいないよ』ってバレてしまったんです。でも、『彼しかいないからがんばりましょう!』って言ってなんとか開店にこぎつけました。」
前評判でみんなが「いまいち」と知っているパン屋だから誰も行かないだろう。そう考えて「自分ひとりでも行かないとかわいそうだから」とパンを買いに行った寺本さん。その目に飛び込んできたのは、衝撃の光景だった。
「行ってみたら、なんと長蛇の列!なんで?って聞いたらみんな出資者なんですよ。『どうしてきたの?』って一人ずつ聞くと、『地域でやっていることだから』ってみんな言う。」
開店時間の10時からたった1時間でパンは売り切れ。パンを買いに来た人はレジ打ちや皿洗いも手伝っていた。結果、寺田さんは1年間で、同年代の会社員が稼ぐ平均給与の数倍を売り上げたという。出資者は、お金を出し、労働を提供するだけでなく、改善のアドバイスや口コミPRでも貢献している。
寺本さんは、こうした現象を次のように紐解く。
「今はみんな、事業者がお金を出していうとわかっている広告が言うことなんて聞きません。じゃあどうやって人を呼ぶの?っていったときに、ひとりひとりの口コミが大事。じゃあ口コミってどういうことなの?っていう話になるんですが、分解すると自分のことのように思えるか。熱狂できるか。応援したくなるか。話したくなるか。なんです。」
Episode6.若者を応援するのは、自分たちのことが好きだから
「耕すシェフ」で移住してきた若者を集落みんなで支えようとするこうした動きの背景には、「自分たち次第で地域はもっとよくできる」というポジティブマインドが透けて見える。これを、寺本さんは「ビレッジプライド」と呼ぶ。
「要は、みんな邑南町に住んで何がしたいのかってことなんです。『お金持ちになりたい』と思ってたら、邑南町に住んでないですよね。『外車に乗りたい』とか、『東京の一等地にマンションが欲しい』という人はまずいない。じゃあなんでここに住んでいるのか?って、自分自身も含めての話なんですけど。」
掘り下げていくと、「自分がここにいる証しとか誇りを持ちたい」という思いに行き着くと、寺本さんは話す。自分たちの地域に移住してきて頑張ろうとする若者に出資をするのも、その行為が金額に換算できない誇りにつながるからだ、と。
「AJIKURAがテレビで紹介されたとき、農家のお母さんが自分がつくった野菜が丁寧に盛り付けられているのを見て涙ぐむシーンがありました。ちょっと昔は、お金があればいいや、なんでも手に入るし、という感覚が日本全体にあったと思うんです。でも、今はもうそういう時代じゃなくなってきた。自分がどう生きているのかとか、どう社会と関わっているかの質を求める時代に変わってきていると思います。」
そういう時代においては、もともとお金よりも人と人のダイレクトな信頼関係がベースにある地方のほうが、東京よりもやりたいことを応援してもらって実現しやすい環境が整っている。
寺本さんのこの見立てを象徴する生の声をお届けしたい。広島からIターンして広島風お好み焼き店「あかね屋」を営む石國さんは、広島で20年お好み焼き店を営んでいた母と兄とともに邑南町に移住した。
「お店をオープンした日、集落の人全員でお祝いをしに来てくれました。ふだんも野菜も無料でくれたり、『ジャムもつくっているからりんご園をやりたい』と話すと空き地情報を教えにきてくれたり。『まだ来たばかりだから楽しみなさい』って、集落のお祭りなんかも手伝えと言われることはありません。あれこれ口を出すことなく、かといって無関心でもない。しずかに見守ってくれて、必要なときに手を差し伸べたり盛り上げてくれる究極の人間関係を築ける、本当の優しさを持った人が多いです。」と、素敵な場所に出会えた喜びに満ちた笑顔で話す。
地元食材をつかったお食事が気軽に食べられる「野菜バイキングよねくら」
また、耕すシェフ出身で「野菜バイキングよねくら」を起業した米倉さんは、「来た当初は、まさか起業できると思っていなかった。」と振り返る。
「野菜バイキングよねくら」オーナー兼シェフの米倉さん
「耕すシェフに採用してもらうときは、それが条件だから『起業します』と言ったものの、正直できると思っていませんでした(笑)。起業なんて無理だよ、という人もいました。でも、できるよと言って応援してくれる人もいたんです。無理だという人は具体的な理由は言わなかったけど、応援してくれる人は具体的な物件の情報などを持って来てくれました。大都市では家賃を払うのでせいいっぱいという同業者も多い中、僕は邑南町だから起業できた。本当に幸せものだと思います。」
邑南町の食材を調理したメニューの数々。地元の方が野菜を譲ってくれることも
なぜ、邑南町の人々は移住者をあたたかく迎え入れ、応援するのか。寺本さんに尋ねると、ひとこと、こんな答えが返ってきた。
「自分たちのこと、自分たちの町が好きだからじゃないですか。」
寺本さんは今、ビレッジプライドを持つまちの人々に次のような提案をしている。
若い人の仕事づくりしよう。そのために、邑南町の1万人ひとりひとりが、1年に1万円だけ多く地域の農産物を買おう。そうすれば、1億円が地域から出なくなる。1億円あれば、若い人33人の仕事づくりができる。この33人の仕事をレストランにしよう。レストランは、農家のみんながつくっている農産物を買う。農家は食の学校や農の学校でしっかり勉強していいものを作れば、「あの人の野菜を使いたい」と料理人が集まるようになってスターになれる。
高齢者は年金暮らしだけでなく自分がつくったものが喜ばれて楽しい。それをみんなで買いあえば、若い人たちの仕事が生まれる。人と農業の価値を地域内でぐるぐる回すことで、みんなの誇りが増える。
Epilogue.東京に教えなきゃいけない
島根県は「過疎化」という言葉の発祥地だ。その島根県の中でも、邑南町はいちはやく過疎化の終焉を迎えていると寺本さんは言う。
「邑南町では65歳以上はもう増えておらず、75歳以上は減っています。いっぽう、0〜3歳は増えている。全体の人数は減っていますが、納税者と受給者のバランスがとれ始めています。」一方で、東京はこの4年間で増えた58万人のほとんどが65歳以上。65歳以上、75歳以上が激増しているが、65歳以下はさほど増えていない。
邑南町と東京。ここから40年で双方に起きることを考えると、新しい日本の成功モデルは邑南町のほうにあると寺本さんは考えている。
その成功モデルとは、小さな行政区内で税金を納める人数と受給する人数のバランスがとれた状態で、信頼をベースにした地域内投資で就業人口を支えて外貨を稼ぐというかたちだ。
事実、邑南町にはすでに、全国の自治体から多くの首長や幹部が視察に訪れているそうだ。
「自分の本質を生きられるか、自分の仕事や生きかたに誇りを持てるか、人間どうしとしての信頼を得られるかがお金よりも重要になっていくことと連動して、自分が暮らすまちが好きかどうかがますます重要になっていきます。うちは、ひとりひとりの生き方や人間関係への誇りがまちづくりを支える”あり方”をもう実現している。だから、今度はこの”あり方”を都市部にひろげていくことが、日本全体にとって大事だと思っています。」
邑南町は、人口減少・少子化・超高齢化が進む日本の行く末を照らす、一筋の希望の光だ。
取材・文 浅倉彩
寺本さんの単著「ビレッジプライド〜0円起業の町をつくった公務員の物語〜」は、”0円起業の町 邑南町”が出現するまでの紆余曲折を寺本さん自身が振り返った回顧録。邑南町に興味が湧いた方は、ぜひこちらもお読みください!