今治市関前エリアは、広島県呉市からつながる「とびしま海道」の終点。今治市でありながら橋でつながる隣の島は呉市、今治側へはフェリーで渡るというエリアです。独自の文化で栄え、市内で最も離島らしさを感じられるこのエリアに2017年、地域おこし協力隊として着任・移住したのが今里拓哉さんご家族。協力隊を卒業した後も島に定住し、3人の子どもたちをのびのびと育てる今里さんに、子どもが少ない関前エリアでの子育てについて、そして仕事や生活の様子をお聞きしました。

地域に子どもがいないという切実さ。日本の地方にある課題に向き合いたい。

三重県で生まれ、幼少期のほとんどをアメリカで暮らし、京都の大学卒業後は大阪で教師として働いていた今里拓哉さん。「社会科の教師として3年間中高で教えていたんですが、当時、経済が世界第1位のアメリカと2位の日本でしか生活したことがないのに社会を教えることに疑問を感じるようになって」もう一度学び直そうと、ネパールの大学に進んだそう。その後は国際協力に関わる機関で働き、フィリピンで先住民族の子どもたちへの教育支援を行っていた時に、同じNGOで働く奥様のMAPA Jeanie(マパジェニィ)さんと出会い結婚されました。「子どもたちを育てる中で、そろそろ自分が一生腰を据えたいと思える場所に定住したいという思いが強くなりました。フィリピンやネパールなど他の国での定住も検討したのですが、そんな時ふと気づいたのが日本の地方にある課題でした。例えばネパールには水や電気、ガスも通っていない地域もたくさんあります。でも子どもの数はすごく多い。かたや日本の地方は過疎化、高齢化が進んで、20年後に地図からなくなる地域もあるかもしれない。どっちが切実なんだろうと考えたんです。そして日本の地方にある課題に少しでも関わらせていただける、地域に貢献できる道を選びました」。せっかくなら地域貢献を行う地域おこし協力隊制度を使って移住しようと考えた今里さん。子ども連れでの移住とあって小学校がある地域を探し、自分たちが理想とする移住先を求めて、移住フェアや現地を巡ったそう。2016年に訪れた移住フェアで知ったのが、今治市の離島、関前エリアだったと言います。「他の地域の情報も得たのですが、一番惹かれたのが関前でした。なら現地に行ってみようと、宿泊もできるこの関前ふるさと交流館を予約して、家族と一緒に来てみたんです」。

関前エリアの街並み。

宿泊施設としてはもちろん、地元の人たちの交流の場、久しぶりに地元に帰ってきた方々の宿としても活用されているふるさと交流館。

「地域に溶け込ませていただく中で、自然と定住したという感じですね」

「初めて訪れた時には、呉からのルートは知らなかったので、今治からフェリーで訪れたのですが、岡村港に着いた瞬間、 “あ、いいかも”と思いました。地域の方とお話する機会は持てなかったのですが、3泊して地域をぶらぶらすることに。街並みに古い看板や井戸があって、どこか懐かしい感じがして。車がかろうじて通れるような路地の奥にある集落や学校を見学させてもらううちに、この地域に住みたいと思ったんです」。

その後、今治市関前エリアを担当する地域おこし協力隊員に任命された今里さんは、家族で移住することに。「最初は、もしも合わなければ他を探してもいい、という軽い気持ちでした。もちろん、合えばそのまま定住したいとは思っていましたよ」。2017年4月に着任してからは、地域の方との信頼関係を構築するために、行事には積極的に参加。集まりには顔を出すようにし、祭りがあれば神輿を担がせてもらうなど、地域に溶け込むことに尽力したそう。「私も家族もどこまでここの地域に溶け込めるか、受け入れられるかが分からなかった」と言いますが、その危惧は無用だったそう。次第に地域の人たちに受け入れてもらえるようになり、自然と定住につながったのだとか。「どんなに溶け込んだとしても外部の人間が先祖代々この地で生きてきた人たちと同じようになることはないかもしれません。でも移住者だからと嫌な思いをすることもなかったですし、決意したというよりは自然な流れで定住したというほうが近いかも」と奥様と顔を見合わせます。「関前は、フィリピンで私が生まれ育った町と少し似ています。違うのは、いつでも声をかけてくれるところ。みんなが挨拶してくれますし、みんな優しいと思います」と結婚を機に日本に住むようになった奥様はキラキラとした目で話してくださいました。

関前エリアへの移住を決めた理由をにこやかに話してくださる今里拓哉さんと奥様のマパジェニィさん。

地域の中で必要な存在になっていく、今里さん一家の暮らし。

上の2人のお子さんは関前エリアにある岡村小学校に通っています。実はこの小学校、一番上のお子さんが小学校に入学する前の1年間、休校していたそう。「学校を再開させるか、それとも呉市の小学校に行かせるのか。行政のほうでも考えられたようなんですが、最終的に長女が入学するタイミングでの再開が決定しました。ちょうどその頃、神戸から男の子2人の兄弟のご家族が移住してくれて入学と同時に、1・2・3学年が復活したんです」。現在、岡村小学校の全校生徒は4人。今里さんのお子さんが3年生と1年生、もうひと家族の兄弟が5年生と4年生。「下の子が3年後に入学するころには、また人数が減ってしまう。それまでに子育て世代が移住してくれたらいいなと思います」と奥様は話します。

地域おこし協力隊としての3年間は、国内はもとより海外でも指導をしている自然農法の農業指導者に指導を受け、無農薬無肥料栽培の講習会を企画するなど、持続可能な農業を目指す取り組みを中心に尽力した今里さん。任期が終わった2020年からも、新規就農の制度を使って引き続き隣の島にあるその指導者の園地で働いています。また、兼業農家として島内に畑を借りて柑橘類を栽培。他にもさまざまな仕事を担っているそうで、取材をお願いした日も「今日は朝から3つほど仕事をしてきました」と笑います。「田舎は人材不足ですから仕事がないということはないんです。いくらでも『あれもやらんか』『これもやらんか』って声をかけてもらえます」。もちろんそれは、移住後さまざまな活動で地域に貢献してきたことによる信頼があるからこそ。でも「担い手がいない分、必要とされることが多い」のは事実のようです。

社会福祉士の資格を持っている奥様は地元の社会福祉協議会に勤務。地域の高齢者や困っている人たちをサポートする力強い担い手に。「今では、私より彼女のほうが地域のことをよく知っています」と笑うほど、しっかりと地域に根ざしている様子。子どもたちも口々に「海で泳ぐのが好き!」「毎日が楽しいです」と元気いっぱい話してくれ、ここでの暮らしの充実ぶりが伝わってきました。

砂浜で元気に遊ぶ洋羽ちゃん、和歩くん、木花ちゃんと、それを見守る今里夫妻。

柑橘の一種「はるか」を収穫する今里さん(ご本人提供)。