三重県南部に位置する御浜町は、自然豊かで青く美しい海が広がる小さな町。柑橘栽培が盛んで『みかんの町』として知られるが、漁師を生業にしている人達もいる。
30~40代の若手が中心となって切り盛りする「阿田和大敷漁業生産組合(通称 阿田和大敷)」は、太平洋の熊野灘で定置網漁を営む組合法人だ。
阿田和大敷で働くこと・ライフスタイルについて、漁師の濱本さんに話を聞かせてもらった。
阿田和大敷の中堅、14年目になる濵本竜太郎さん(36歳)は御浜町下市木出身で、妻と子ども5人の7人家族。
親方からの誘いで転職したが、初めは朝が早いことや船に乗ることなどが不安だったうえ、船酔いがとても酷かった。酔い止めの薬を飲みながら頑張ること1か月、早朝出勤にも船酔いにも慣れて大丈夫になった。
仕事は入った頃と比べると機械化が進んで随分と楽になっていて、「前職よりもこっちの方がずっと楽。カッパ着て暑いとかありますけど、体力面ではしんどくない」と言う。世代交代が進み、高校の同級生が入ってきたのもあって、濱本さんにとって阿田和大敷は “働きやすい職場”だ。
機械化が進む漁師の仕事
濱本さんが語る阿田和大敷での働きやすさは、機械化が進んでいて過酷な力仕事というものがほとんどないところが魅力だ。
仕掛けた網の引き揚げは、人力ではなく巻き上げ機を使う。網底の魚を揚げる最後の引き揚げ作業だけは、人力と機械で調整しながら進める。
ここでは、力仕事あるのみと想像していた漁師の姿とは全く違っていた。
機械化により漁師の肉体的な負担は減ったが、自然相手の仕事なので危険はつきもの。仕事の中で一番大変なことは、海が荒れることで普段は安全な船上が危険な場所に変化することだ。天候が荒れ高波で船が揺れると、鉤(カギ)など掛けて張ってあるものが思わぬところで外れ飛んだり、挟まれたりといったケガや事故の危険性が増す。
普段から天気図を観察し、天候の荒れそうな時は船を出さなくて済むように備えている。阿田和大敷の漁師たちは常に安全を心掛け、緊張感を持って仕事に臨んでいる。
漁師は儲かるの?給与・配当金・ボーナスの仕組み
「嬉しいのはやっぱり大漁の時。引き揚げ途中で網の中でブリが湧いて周ってるのがわかる。で、揚げた時に大漁だと嬉しいですね。配当もあるし」と濱本さんはニヤリ。
阿田和大敷では社会保険、雇用保険、有給休暇など一般の会社と同じ制度が整えられている。
給料は基本給のほかに、魚の水揚げ(獲れ高)に応じた歩合制の配当金がプラスされる。また、年間を通した総水揚げが一定額を超えた場合もボーナスがつく。月によって給料以外に20~30万円の配当金があったり、過去、年間総水揚げが多かった時はボーナスが3桁の時もあったそうだ。
魚の鮮度を保って水揚げ額を上げる努力もする。鮮度によって競り単価が変わってくるので、「少しでも価値のある魚になるように」と扱いにはかなり気を遣う。
仕事内容(魚の量・種類・鮮度など)と給料が直結して目に見えるので、漁師たちにとってかなりのモチベーションになっている。
濱本さんが就職した当初は今より給料が少なかったのもあり、昼からの時間を使って副業をしていたが、年数を重ねると共に給料が上がり副業はやめた。奥さんは専業主婦で、自身の収入だけで熊野市の住宅地にマイホームを建て、5人の子供を育てている。
子ども達との時間も両立
今では、午後3時~6時の間は子ども達の少年野球のコーチをしている(他の仕事だと、この時間帯に動ける人がほとんどいない)。結果的に子ども達と過ごす時間が増え、充実した暮らしを送っている。
有給休暇は使いやすい雰囲気でいつでも使えると言いつつ、「子供の野球大会の時くらいしか使わないかな(苦笑)。この仕事が楽しいから、ほとんど休まないんです」と、笑顔で語った。
先輩との関係は?
昔からの友達でもあり職場の後輩でもある東さんにとって、濵口さんはこんな存在だ。
「もう、すごく仕事ができる。昔の人は『オレの背中を見て覚えろ』みたいな感じだけど、濵口くんはそんな環境で揉まれてきて、これではアカンって思ったんだと思う。もう全部教えてくれる。『これはこうした方がええ』って口で言ってくれるから、すごくありがたいし勉強になる」と、共に仕事に励む友は、濱本さんに絶大な信頼を寄せる。
自然とともに働く
沖からの眺めについて聞いてみると、「漁師は朝が早いから、日の出を毎日見られます」と語る。
「漁場に着くまでの間、夜空に流れ星が見えたり」
この地方の豊かな自然を日々当たり前に感じながら、時に美しく、時に過酷な海を相手に仕事に励む漁師たち。
彼らは今日も大漁を願って、沖へと船を進める。
(2022年7月・23年1月 取材)
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