Profile

山崎 春日

45歳 新聞屋、ラジオパーソナリティボランティア、セレモニーサポート
東京都武蔵村山市出身 1996年移住

下川町に暮らす女性たちの移住のきっかけは、結婚や転職など人それぞれ。

山崎春日さんは下川町の隣町の名寄市で育ち、結婚を機に、下川へ移住しました。

下川出身の旦那様とご結婚後、3人のお子さんを育て上げ、今では町内のどんな小さな催しでも、春日さんがいないことはないほど。

いろいろなコミュニティに関わっています。
春日さんに聞けば、下川町内のどんなことでも分かるかも。

黄緑色の自転車で颯爽と走る姿を見かけたら、声をかけてみてください。(インタビュー:2021年8月)

山崎春日さん

隣町出身だけど下川町に足を踏み入れたことはなかった

生まれたのは東京都だけど、小学校低学年の頃に北海道に引っ越して、そのあとは下川町の隣にある名寄市で育ちました。

高校3年生の時に好きになった人が下川町出身で(笑)お付き合いしていてその後、結婚したから、下川に住むことになったんです。

当時は下川に住んでいる同級生もいたけど、まったく来たことはなくて。
学校で時々「やない菓子舗(町内にあるパン屋さん)の生クリームあんぱんが……」とか話しているのは耳に入っていたけど、今じゃ下川に来られるお客様に振る舞う程好きなんですが当時はどんなあんぱんかもよく知らず、下川にも遊びに来たこともなかった。
ただ一度だけ海の方へ行く時に、国道を通ったことがあるだけ。

結婚してから約3年間、夫の実家にお世話になっていたんだけど、夫が脱サラをすることになって、それをきっかけにお店を開業することにしたんです。

ちょうど、家族で過ごす時間をもっと作りたいと言っていた時期だったこともあって、親戚中に創業時の手伝いもしてもらって、新しい場所に引っ越して、おもちゃ屋さんを始めました。

山崎春日さん

子どもたちの憩いの場「なおとぃ」

おもちゃ屋は「なおとぃ」っていう名前で10年くらいやっていました。
夫のイニシャルがNAOTO YAMAZAKIで、名前と英語の「TOY」を組み合わせて「NAOTOY」、なおとぃと読みます。

開店した当時、お向かいの加藤豆腐店さんは、息子さんが夫と同級生だから、面倒見てくれたり、昔隣にあった自転車屋さんも「若い人が近くで頑張ってくれるのは嬉しいわ」って言ってくれたりしました。

でもおもちゃ屋だから、お客さんはほとんど子どもたちで、しょっちゅう来てくれたわけではないんだけど(笑)あたたかく見守ってくれている感じはしましたね。

それから、当時流行っていた自宅カフェを開くのが夢だったので、夫に相談したら「手料理、美味しいし、それをお客さんに出してみるのが良いね」と、お店の一角にカフェのコーナーを作ってもらえました。
カウンターとテーブル席が、1〜2席くらいしかない、ささやかなものなんだけど、親子連れで来られて、子どもたちがおもちゃを吟味している間に、お母さんがコーヒーを楽しんでもらう、みたいな。

春日さん手作りの「なおとい通信」

カフェの人気メニューやお店で起こったニュースを発信していた

オープン当時は、ちょうど6月で花火をたくさん仕入れて、手書きのチラシを印刷してもらい、新聞折込チラシで宣伝しました。

その後も、開店して最初の頃はチラシを見て来てくれた人が多くて、だんだん道端を歩く子どもたちの間で「おもちゃ屋がある」って話題になり、少しずつお客さんが増えていきました。
当時流行だったカードゲームを専門で扱うお店が、町内には他になかったし、外に置いていたガチャガチャなどが目を引いたのかもしれません。

基本は小学生が中心、中学生も「なんとなく来てみた」っていう常連さんがいたり、高校生は軽く昼食とかパフェをって感じで寄ってくれる子がいたりしました。
今の様にインターネット環境が整っていなかったから、SNSなどで発信する術もなく、ただお客様をお待ちしていました。

そのうち、常連さん含めうちの子たちも成長していく中で、どうやって商売を続けていこうか考えていたタイミングで、お隣の新聞屋さんから販売店をやらないかっていう話をいただいたんです。

すでに夫が配達のアルバイトをしていたんですが、当時の店主さんが急に倒れちゃって、うちに話が来たんですね。収入を上げなくちゃって考えていた時だったから「じゃあやります!」って、急におもちゃ屋から新聞の販売店になりました。

そのあとは、もう目まぐるしくて。おもちゃの在庫と新聞がごちゃごちゃに置いてある状態が、しばらく続きました。流れに身を任せて、ここまできたなって感じます。

気づいたら肩書きは10個以上…でも楽しい理由

「なおとぃ」を閉めてからは、新聞販売店を続けていますが、他の仕事やボランティアをいくつか掛け持ちしています。

仕事としては、お葬儀が入った時に受付や司会の仕事をする「下川セレモニーサポート」をしています。
ボランティアとしては、隣街の名寄市のコミュニティーFMのパーソナリティを週2回。パーソナリティは15年勤めていますね。

それから下川消防団、商工会女性部、しもりんポイントカード会、役場の各委員、公職。などなど。どこに行っても、だいたい私がいるって感じている人も多いと思います(笑)。

主婦になりたての頃は子育てのためにずっと家の中にいて、友達もほとんどいなかったんですよね。
でも義理のお母さんが、どこに行っても声をかけられたり挨拶したりしているのを見て、町内のみんなが知り合いなんだなと感じていました。
「どうしたら、お義母さんみたいになれるんだろう」って憧れていたんです。

だから、うちの子たちが社会人になってからは、声をかけられたらできるだけ顔を出すようにしています。

今では子どもたちに「どこに行けば、お母さんのことを知らない人がいるの?」って言われるほどです(笑)。
自分でも足を運ぶようにしていたら、だんだんとあちこちから声がかかるようになりました。
夜の時間にイベントに参加したり会議に出られる人ってあんまりないし、女性だと特に貴重みたい。

もちろん、イベントごとが楽しいからとか、好きだからこそ参加していますが、絶対的に理解ある夫をはじめ、自分が暮らし始めてからいろんな人に助けてもらったり、よくしてもらったりしたから、その恩返しがしたいって思っているんですよね。

だから、誘われたり頼まれごとをしたりしても、ほとんど断らないかな。私には、それぐらいしかできないなと思って。

下川町には、意欲のある、新しい人がどんどん入って来てくれるから、楽しいです。
知らない間にいなくなっちゃって、残念だなあって思うこともあるけど……。

でも、今まで私達が気づかなかったようなことや、やらなかったようなことがどんどん始まっているし、出来る限り応援したい。私も力になれるなら参加したいって、思っています。

Text:Misaki Tachibana   Photo:Yujiro Tada

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