都市には、たくさんの選択肢がある。
けれど実際は、通勤時間に追われ、家賃に追われ、仕事に追われ、「選べない毎日」を過ごしている感覚がある人も少なくありません。

今回お話を伺ったのは、広島県福山市で暮らす井上友香さん。
東京や関西でキャリアを積み重ねたのち、「今、福山市での暮らしが一番しっくりくる」と語ります。その理由は、派手な成功でも、劇的な転機でもありませんでした。

Nativ.media編集部の室井が、井上さんのこれまでのストーリーと現在の暮らし、そして“しっくりくる”と感じているその理由について丁寧にひもときます。

「限界まで頑張る」が正解だった20代

室井: 今日はありがとうございます。まずは、これまでどんな場所で暮らしてこられたのか、教えていただけますか。

井上: はい。大学進学で東京に出ました。その後、関西で働いたり、関東の別のエリアに住んだり、転勤で広島市に戻ったりと、いろいろな地域を経験しました。

室井: 都市も郊外もご存じなのですね。東京での暮らしや働き方はどのようなものだったのでしょう。

井上: 当時は茨城県の守谷市(もりや)に住んでいたのですが、勤務地はお台場だったので片道1時間半から、乗り換えを含めると100分以上かけて通っていました。土日は守谷の自然に癒されるんですが、平日の日常があまりに重くて…。当時は海外の取引先を担当していたこともあり、21時に仕事が終わって、そのまま深夜1時のフライトで出張へ向かうこともありました。20代だったので体力はありましたし、「今は頑張る時期だ」と思っていました。

室井: かなりのハードさが伺えます…。その働き方や暮らしに迷いはありませんでしたか。

井上: 当時は、あまりなかったですね。実績も出ていましたし、大きな仕事を任せてもらえることが嬉しかったです。ただ、どこかで「このままずっと続けるのかな」と思ったときに、ふと立ち止まったんです。

室井: 何が引っかかっていたのでしょう。

井上: 収入はありました。でも、とにかく時間がなかった。通勤も長くて、満員電車も日常で。“通勤時間って苦痛だな”と、心のどこかで思っていました。それに、百貨店で買い物をしたり、ブランドのものを身につけたりすることも楽しかったのですが、だんだんと「これって本当に必要なのかな…」と感じるようになりました。

室井: 価値観が変わっていったのですね。

井上: はい。“自分を過剰によく見せる必要はないな”と思うようになりました。物欲がなくなったというより、「何に満足するのかの対象」が変わったんだと思います。その後、東京の下町エリアで暮らし始めたのですが、そこでの生活が私の転機になりました。60円のメンチカツを2つ買って、ビールを飲む。そんな質素な生活が、何よりも自由で楽しくて。「ああ、私はブランド物に囲まれなくても、自分の心地よささえあれば幸せなんだ」と確信した瞬間でした。

環境を変えるという決断

室井: その後、転勤で広島に戻られたんですよね。福山市へ移られたきっかけは結婚だったと伺いました。

井上: そうです。広島市で働いていたときに今の主人と出会いました。彼は福山市出身で、はじめは遠距離のような形でした。

室井: 福山市へ住む決断に、不安はありませんでしたか。

井上: ありましたよ。福山市は車社会だったこともあり、今まで日常的に運転していなかったので不安でした。でも、転勤を繰り返してきた経験があったので、「なんとかなるかな」という感覚もありました。

室井:かっこいい(笑) 働き方も大きく変えられましたよね。

井上: はい。一度、責任の重いポジションから離れようと思って、派遣という形で働き始めました。「土日のために生きる」くらいの気持ちで、オンとオフを分けたいと思ったんです。それまでの「自分を大きく見せる」働き方に疲れ果てていたということもありました。

室井:実際に「福山で派遣社員」として働いてみて、いかがでしたか。

井上: 驚いたのは、地方には仕事が溢れているという事実でした。「地方に行くと仕事がない」ってよく言われますけど、そんなことない。特に都会でキャリアを積んできた人なら、選べる立場になれるんです。時給も思っていたより高くて、お金の不安がすっと消えました。

室井: そうなんですね!それは確かに意外かもしれません…!当時はかなり思い切った選択をされたと思いますが、振り返ってみるとどうですか?

井上: そうですね。でも私は、「一ぺん環境を変えてみるのはいい」と思っています。少しずつ変わろうとしても、同じ環境にいると難しいこともある。思い切って変えてみて、合わなければ戻ればいい。

室井:なるほど。“戻れる”前提があると、動きやすいですね。その後、いまの会社に入られた経緯も、これまでの経験がつながっているのですよね。

井上: そうですね。都会で働いていた頃の仕事ぶりを知ってくださっている方から声をかけていただきました。正直、また忙しくなるのではという迷いもありました。でも、いまは役割も働き方も違います。

現在勤めている会社での社員旅行の様子

室井:どのような違いがありますか。

井上: 裁量がありながら、通勤時間が短いこと。これは本当に大きいです。忙しい日もありますが、19時前には帰れる日も多い。「今日は大変だった」と思っても、まだ夕方6時半。そこから自分の時間がある。
都会で頑張った経験があったからこそ、いまの仕事にもつながっていますし、福山市には“働く場所の選択肢”がちゃんとあると実感しています。

福山市で見つけた「選べる暮らし」

室井: 実際に暮らしてみて、どんな変化がありましたか。

井上: 一番は、“選択肢が広い”と感じたことです。

室井: 地方は選択肢が少ない、という声もよく聞きますが逆なんですね!

井上: 私もそう思っていました。でも違いました。家も車も価格帯が幅広く、自分に合うものを選べます。“買えない”のではなく、“無理に買わなくていい”という感覚です。

室井: 生活コストの面でも変化はありましたか。

井上: あります。家賃や食費など日常の生活コストが抑えられる分、旅行に行きたいと思えば思った時に行けます。節約して我慢して、ではなく、自然と余裕が生まれる感じです。

室井: 余裕、ですか。

井上: はい。「旅行に行きたければ行けばいい。帰ってきたら、ほっとする」この感覚があるのは大きいです。

室井: 福山市は食の面でも魅力だとお聞きしました。

井上: そうですね。釣り好きな方から新鮮でおいしいお魚をいただいたり、家庭菜園の野菜を分けてもらったり。自分でも料理が好きなので、日々のごはんが楽しいんです。以前都会で暮らしていた時には取り寄せていたような食材が、普通に手に入る。しかも無理のない価格で!

室井: 食の充実…それは確かに豊かですね。

山に詳しい地域の方からもらった育ちすぎたたけのこ。「塩漬けにして、自家製メンマにした」と井上さん

井上: それに、雪がほとんど降らないので、冬の出費も少ないです。スタッドレスタイヤが不要なのは、意外と大きいですよ。

室井: 雪が降らないのはいいですね。日々の忙しさはどうでしょうか。

井上: 忙しい日はあります。でも、忙しさに飲み込まれる感覚はありません。仕事が終わったあとに、「今日はどう過ごそうかな」と考えられる余白があるんです。料理をする日もあれば、誰かと食事に行く日もある。その日の気分で選べる。その自由さが、いまの私にはちょうどいいですね。

室井: “ほどよさ”という言葉がぴったりですね。

井上: そうなんです。田舎すぎたら私は福山市に飽きていたかもしれません。でも、決して娯楽がないわけじゃない。自然もあり、お店もたくさんある。私にとっては、この“ほどよさ”こそが最高の選択肢なんです。

芋ほりを楽しむ井上さん

「一ぺん、環境を変えてみればいい」生きづらさを感じている人へのエール

室井: いま、都市で働きながら生きづらさを感じている人に、どんな言葉をかけたいですか。

井上: 「一ぺん、環境をガラッと変えてみるのはいいよ」と言いたいです。今の場所で少しずつ変えようとしても、シームレスに物事は変わりません。通勤時間の苦痛や、自分を見失うような忙しさは、場所と仕事を変えることでしか断ち切れない。だけど、「唇から血が出るほど歯を食いしばって頑張る時期」が人生には何度かあると思っていて、都会での経験は決して無駄にはならないですよ。でも、頑張れなくなった時に逃げる場所はあってもいい。福山に来てみて、「やっぱり都会がいい」と思ったら戻ればいいんです。もし福山に来るなら、私がいるから大丈夫(笑)。移住の不安を払拭してあげたいし、面白いコミュニティも紹介できます。

室井:なんて心強いんだ!(笑) 以前、移住者の視点で複数の方と本音で語り合いながら福山市の魅力について深堀しつつ伝えていくセミナーに出ていらっしゃいましたよね。

井上: はい。「地域の仕事“ホンネ”サロン」というセミナーに登壇しました。実際に福山市で暮らす人たちと率直に話す場をつくりました。良いところだけを切り取るんじゃなくて、不安や戸惑いも含めて地方移住の本音の話を共有する時間でした。

▽「地域の仕事“ホンネ”サロン 福山市」のアーカイブ動画は、こちらからどうぞ

室井: あの時間は、まさに“選択肢を具体的に見せる場”でしたよね。

井上: そう思います。移住って、良い面だけを切り取ると理想論になってしまう。でも実際は、迷いや不安も含めて現実です。だからこそ、実際に暮らしている人の言葉をそのまま聞ける場は大事だと思っています。きれいごとではなく、生活の解像度が上がると、自分の中で判断できる材料が増えるんです。

室井:最後に、福山市での暮らしをひと言で表すならなんでしょうか。

井上:「今の暮らしが一番しっくりくる」ですね。選択肢があるから、無理をしなくていい。自分のペースで選び続けられることが、いちばんの安心だと思います。

音楽フェスでの一枚

室井: 生活に余白があるからこその選択肢、だったのですね。今日は、選択肢という言葉の意味を改めて考えさせていただきました。井上さんが選び続けてきたことの積み重ねが、「今が一番しっくりくる」という言葉につながっているのですね。もし今、どこかに暮らしの違和感を抱えている人がいるなら、選択肢が増える場所を探してみるのも一つかもしれませんね。本日はありがとうございました。

編集後記

井上さんの話を聞きながら、何度も出てきた言葉がありました。それが「選択肢」です。

地方へ移ることは、何かを手放すこと、何かを諦めること——そう感じる方も少なくないでしょう。けれど井上さんが語ってくださった福山市での暮らしは、むしろ余白があるからこそ選択肢が増えていく、という発想でした。

背伸びも、我慢もいらない。自分に合う幅を選び続けられること。「しっくりくる」という感覚は、偶然訪れるものではなく、環境と向き合い、その都度選び直してきた結果なのだと感じました。もし今、少しだけ違和感を抱えているなら。“正解の場所”を探すのではなく、“選択肢が増える場所”を探してみる、そんな視点もあるのかもしれません。私たちがいま「正解」だと思っている感覚も、経験や年齢を重ねるなかで、少しずつ形を変えていくものです。その変化を恐れず、選び直せる余白を持つことこそが、暮らしの豊かさなのかもしれません。

ここまで読んでいただきありがとうございました!では、また次回のNativ.Life Interviewでお会いしましょう。

文責:ネイティブ.メディア編集部 室井

※Nativ.Life Interviewシリーズ 過去の記事はこちらから。