東京から大分に通いはじめて、自由にとても高いクオリティで暮らしている人たち(わたしはそれを「大分をクールに更新する人たち」と呼んでいます。)に会うようになって、「大分的生きやすさ」について考えるようになりました。

「生きにくさ」って、キーワードみたいになっていますよね。最近。

その反対の「生きやすさ」があるのだろう、だから大分には素敵な人たちが居つくのだと思うわけです。地元か移住者かにかかわらず。しかも、かなり以前から。

昨年、突然の山崩れで一夜にして民家が流れる痛ましい災害があった耶馬渓は、岩肌の切り立った高い河岸と懐深い渓谷がつながる景勝地で、特に紅葉の時期には多くの観光客で賑わいます。

そんな場所にも、時代を更新するような人たちがしっかり居着いていました。

コーヒー好きの聖地みたいな豆岳珈琲、こだわりのカレーがおいしいエスニックレストラン(?)のサッタヤード、キャンプ場のバルンバルンの森と亜細亜食堂cago、有機農業で知られる下郷農協、素敵すぎる学童クラブ・文庫さだやなどなど。(これらのお話はまた改めて)

そんなおひとりとして、藤倉めぐみさんという詩人が耶馬渓に住んでいます。

東京と藤沢での暮らしに区切りをつけて、お母様の故郷である耶馬渓に移り住まれた方です。

藤倉さんに聞いてみました。

「大分的生きやすさってあると思うんですが、それは何ですか?」

 

以下はそのお答えです。しっかり答えてくださったので、ご本人にも断って全文をご紹介しようと思います。

松田さん

詩のまとめをありがとうございます。(注:いま一緒に作品を作っています)
「大分的生きやすさ」
私が知っている土地が、神奈川と東京とこの耶馬渓できちんとしたことが言えるか分からないのですが思いつくままにお伝えしますね。

まず耶馬渓に移る前に数日だけカンボジアに行ったのですがその土地での人の顔が明るく、幸福感があって、生き生きとしてショックだったんですよね。

まだ発展途上と言われる土地で、生活に困窮している彼らと電車内でスマホを見ていて、能面のような顔をしている東京の人とこんなに差があるのかと思って。

東京よりも単純にもっと幸福度の高い土地に行きたいと思ったような気がします。

そして、それは耶馬渓に来て叶ったのだと思います。

ここに来てから裏の川でぼんやりしたり、畑を見ていると山がある、川がある、空があるっていう中に身が置かれるということで空白がある分だけ思いを馳せられるというか、そういう自然におかれることに楽になったり喜んだりする自分に初めて会ったような感じがしました。

私がこちらに移って、昨年の7月に豪雨による水害があったのですが川の水があふれて、夜になると真っ暗闇の中で外の様子が分からなくて大変怖い思いをし、不安であまり眠れなくて、お仏壇に手を合わせていました。

ちょうどその時間が夜中で、雨が止んで、止んだ瞬間に虫が鳴いたんです。

それが本当に衝撃で。

私たちは雨でこんなに不安な思いをしているのに、虫は当たり前のように鳴くのかと。

その時に、今こうやって生きていることは借りぐらしなんだなと思いました。

自分以外の圧倒的なものを実感できたという点で、これは私にはとても幸運な出来事でした。

それは死に対しても同様で、この土地はよく盆踊りをするんですよね。集落によって違うんですが、年間で4回ぐらいは最低盆踊りをやっているんですよね。そういうのがあると、人以外のものに生かされているというか、生に隣り合って死があることが分かって、死に対しての不安が薄くなるような感覚がありました。

今年の山崩れが起きたときもそうですが、理由もなく死がある、それを目の当たりにするっていうことはそういうものだよなと受け入れやすくて、私の場合は、「どうせ死ぬなら好きに生きよう」というような乱暴にも思えるかもしれない感覚がすとんと落ちたんですよね。

自己とか、人間みたいなものを誇示したり拡張しなくていい、それでも伸び伸びやっていい、そういう生きやすさはあります。

今、ここから東京に出ると、五感はかなり変わってきていて、まず音の捉え方が変わりましたね。東京だとビルが多いので、ずっとヘッドフォンをしているように聞こえます。

あと東京だとずっと食べ物の匂いがしていますね。

そういう五感の広がりがないというか、ずっと近くにある情報を拾おうとしている感じも、東京での生きにくさに繋がるのかなと思います。

ちゃんとしたお答えにはなっていないかなと思いますが、思いつくままに書きました。

何かまたありましたらお気軽にご連絡頂ければと思います。

藤倉めぐみ

藤倉さん、ありがとう。

感受性が先端的に優れている人が住める場所なのだな、と思いました。

大分で出会う素敵な人には、みなさん似たところがありますね。

藤倉さんのお母様がこれまたすごい人で、地域の面白い人たちのハブになっていて、さきほど列記した人たちを次々に紹介してくださった方です。そしてこの方は、松岡正剛のイシス編集学校師範代の肩書きも持っています。

めぐみさんが地元に戻られたのをきっかけとして、自宅の蔵でホームシアターを開放した映画鑑賞会「くらしねま」をはじめて、このお家にはいつも誰か滞在しているような(しばらく前には韓国の映画監督が滞在し、ここを舞台に映画を作られたそうです)オープンな雰囲気があります。

そのお母様とお話していて、「地方はどこも人が減り、賑わいを失っているけど、また元と同じになったっておもしろくない。これからはこれからでおもしろくなれば良い。」とおっしゃるのを聞いて、私は小さな衝撃を感じたのです。

親の世代で昔を知っている人が、未来を正しく見ていることに、私は「大分的生きやすさ」を感じないではいられませんでした。

耶馬渓の話は、また書くと思います。

 

 

松田朋春
(グッドアイデア株式会社代表、「大分で会いましょう。」プロデューサー)

【大分の窓】「大分的生きやすさ」その2
野津 怜三朗(ハンバーガー店:R&B経営)