愛媛県今治市に本社を構える「株式会社ありがとうサービス」は、リユース店、飲食店の経営から、CD、DVDレンタルおよび販売、不動産の賃貸まで幅広く手掛ける地元屈指の大企業である。従業員数はパート、アルバイト含めて約1,800名にものぼるが、その多くが、社長の理念に共感して長く仕事を続けていて、アルバイトから社員になる人も多数いるという。
経営理念は「世のため人のため」。社名にも掲げている「ありがとう」の言葉をお客からいただけるよう、心あるサービスを提供して世の中に貢献し続けているのだ。
ありがとうサービス
リユース事業、フードサービス事業を中心にフランチャイジーとして四国・九州に展開。また、フードサービス事業では「馳走家 とり壱」などオリジナル業態の店舗ももつ。2016年にはカンボジア・プノンペンに「MOTTAINAI WORLD CO.,LTD.」を設立。2012年にJASDAQ上場、2017年2月期売上高は85億2,400万円。
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祖父の他界、父親の病気をきっかけに経営者の道へ
前身となる株式会社エムジーエスの設立は2000年。代表を務める井本雅之氏は、現在では「ありがとうサービスの井本雅之」として広く名前を知らしめているが、最初の社長経験は、井本氏の祖父が立ち上げた会社であるブラザーミシンの代理店「井本ブラザー商会」においてだったという。「当時、僕は船井総合研究所(当時の名称は「日本マーケティングセンター」)に勤務していたんですけど、じいさんが亡くなって誰も継ぐ人がいなかったので、サラリーマンを辞めて地元に帰ってきたんです。それが29歳のときですね」
ところがその2、3年後、今度は井本氏の父親が病に倒れ、父親が経営していた「株式会社今治デパート」に入社することとなる。
「余命3か月と宣告されたことから、『お前もうちに入れ』と言われたんですけど、3か月で死ぬ予定が9年くらい生きたんで、その間にいろんなことがありましたね。結局親父は1997年に亡くなったんだけど、その2年前の1995年に、世代交代ということでわたしが今治デパートを継ぐことになったんです」
もちろん、世代交代と一言でいっても、そうすんなりことは運ばない。そもそも、父親が病に伏せたタイミングで同社幹部の人間から「あんたが(次期社長)やるんやろ?」と言われた際、「ブラザーミシンを継ぐだけのはずやったのに…」との思いも胸に去来したが、それ以上に、会社の方針が自分の考えとは違うことに頭を悩ませていたという。
「根本的にやりかたが合わんのやね。(展開していた)量販店を続ける続けないにしてもそう。考え方が合わんから、親父が9年間入退院を繰り返してたんだけど、入院した隙を見計らって勝手に閉めたりしてた。両方とも真剣なんよ」
そうした衝突を繰り返しながらも、1995年、社長に就任。しかし、その時点でも迷いが抜け切れず、当時、29歳まで勤務した船井総研のトップであった船井最高顧問に相談に行ったところ、返ってきたのは「今、流通業界はかなり荒波が立ってるよなあ。その荒波の中に親父をほったらかすっていうのは、(親父を)殺すってことやなあ」というヘビーな一言。「これはもう、辞めるにやめられないぞ、と。窮地に立たされた親をほったらかして辞めるなんて絶対にやってはいけないんだということを思い知らされました」
資金繰りが苦しい中、社員が辞めていったときは
「見捨てられた気持ち」に
「窮地」とは病気だけの問題ではない。どういうことかというと、当時の今治デパートはかなりの負債を抱えていたのだ。
「井本ブラザー商会のほうもそうだったんですけど、たまたま僕が引き継ぐタイミングは下降真最中。下がってるときってこれまでと同じことをしてもそのまま下がり続けるだけだから、なんとかして上げないといけないんだけど、当時は手法もわからず闇雲に動くばかり。借入額も大きいし、お金もどんどん無くなっていきました。もちろん従業員から見ても苦境に立たされてることは明らかだったから、人は辞めていく一方。社長やってて従業員が辞めていくと、見捨てられているような否定されているような感じがするし、資金繰りも苦しくて、一体どうすればこの状況から抜け出ることができるのかとしばらくはもがきつづけました」
そんな中、遂に見出した脱出方法は「自分が変わる」ということ。「自分が変われば周りも変わる」。そう信じて軌道修正をスタートしたところ、少しずつではあるが状況が変化しはじめたのだという。
「それまではとにかくひどい社長だったんですよ。30歳そこそこでエネルギーは有り余ってるんだけど、うまくいかないとそれが“怒り”に変わっちゃう。なまじ船井総研時代の経験があるから、『こうすればうまくいく』っていうセオリーが自分の中でできあがっていたんですよね。
でも、そんなもの押し付けられても人は動かない。そうなると自分をコントロールできなくなって、『バカヤロー!』ってものを投げたり。びびるでしょう?そりゃ辞めていくよ、って今振り返ると思いますね。反省しています」