福岡県川崎町。福岡県のほぼ中心部に位置し、その昔は炭鉱で栄えた筑豊エリアにある町です。その市街地エリアから車で約15分、細い舗装された山道を登っていくと都市部から多くの観光客を集める人気農家カフェ“ラピュタファーム”が見えてきます。そのラピュタファーム内に2018年6月にひっそりと一つのパン工房がオープンしました。

「パンとお菓子のアトリエ“IKURI”」

福岡市南区で人気パン屋“Les Petits Carres(レ・プティ・カレ)”を営んでいた篠崎海太郎さん、恵子さん夫妻が新たな場所にオープンしたパン工房だ。「新鮮でおいしい川崎町の食材をふんだんに使用したパンを作りたい」の想いから移住を決意しパン工房を開業した篠崎さんご夫妻、どのような考えや想いがあったのか、その一部始終に迫りたい。

ヤギがお出迎え

ラピュタファームではヤギがお出迎え

 

自然あふれるデッキの隣に工房があります

 

【会社員からなぜパン屋になろうと思ったか】

大学卒業後に建材輸入商社の会社に就職したという海太郎さん。「仕事そのものにはやりがいもありましたし楽しかったです」と話す。輸入業務を通じてヨーロッパの文化を感じることもでき、仕事仲間にも恵まれたと言う。しかしその中で漠然とではあったが「将来はお店をしたいな」と妻の恵子さんとも同じ想いでよく話していたという。このまま会社員生活を送るのか、それとも自分達のしたいことに挑戦していくのか、会社員なら誰もが悩む問題ではあるが、海太郎さんも例外ではなかったようだ。

また「“お店をしたい”想いはありましたが、“何のお店”にしたいかは全然決めてませんでした」と話す海太郎さん。食には興味があったが、それに限らず休みの日には広く浅く情報を集めるのが日課となっていたという。その時、家の近くのパン屋さんを訪れた際にこう感じた。「味なのかお店の雰囲気なのかはよく覚えてないのですが、なぜか“また行こう”と思わなかったんですよね。パンは毎日食べるものなのに」。今のような“パンブーム”ではなかったものの、主食の一つにもなっているパンでもあり、安定した需要はあるパン屋さん。また現職で学んだヨーロッパの文化やデザイン設計なども活かすことができるのでは、との考えも相まった。

“毎日行きたくなるパン屋を作りたい”

この想いが日に日に強くなっていった。

 

【2年間の修行、そして独立へ】

「本来なら専門学校などで専門的な知識を付けて、現場で数年修行をしてから独立が当たり前の業界でしたが、いい年でもあったので学校に通うことは難しく、いきなり現場で働かせて頂きたいと考えたのですが、なかなか30代の脱サラ男を雇ってくれるところがなくて(笑)。そんな時に人伝えで、とある福岡のパン屋に雇ってもらえる話を頂きました。福岡は地元でもあったので、これは運命かと思いましたね。またそこのパンを食べて衝撃を受けました。派手さやお洒落さはないけど、素材を厳選した上しっかりと活きている。まさに“毎日食べたくなるやさしいパン”だったんです」

働いていた会社を退職し、修行の道を選んだ。しかし当然それは簡単な道ではありませんでした。

「年齢が年齢だし、新店を開業する初期費用の問題もあり、独立するには2年しかないと考えてました。しかし周りからは素人が2年でパン屋をオープンさせるなんて無茶だと言われました。でも師匠は違ってました。2年で独立できるように自分のノウハウや技術を徹底的に叩き込んでやる、と。普段は優しい師匠も現場では相当厳しかったです」。

そして特に大事なことを教わったという。

「もちろん、パンに関する知識や技術的な事、そして経営ノウハウ等も学びましたが、一番学んだのはお客様との接し方です。どんないいパンを作ってもお客様がいないと売れない。そのお客様との接し方が何よりも大事なんだと思いました」。

その後、2011年念願だった「Les Petits Carres」を福岡市南区へオープン、当初の夢であった“自分の店”を持つことが叶った瞬間だった。

オープンした“Les Petits Carres”

 

当時は珍しかった対面式の構造とワインの販売

 

【なぜ地方への移住を決めたのか】

「素材の良さを活かすことを考え、毎日食べても飽きないパンを常に意識しています」と丁寧なパンつくりを続けた。また、衛生面の向上やお客様とのコミュニケーションをとるために当時パン屋では珍しい“対面方式”の取入れや、パンに合うワインやオードブルの販売、また敢えて週休2日制を取り入れることで常に新しい情報や技術を学ぶ時間にする等、様々な工夫をすることで徐々に人気が出てきたLes Petits Carresだったが、また異なる問題が起きてしまう。

「実は店の前が道路拡張工事の計画にあたり、遅かれ早かれ移転せざるをえない状況となってしまった」と話す。

福岡市内や北九州市内など、都市部を中心にテナントを探していたがなかなか理想とする物件に巡り合えなかった。「当時から地価が上がってきており、少し条件が良いと家賃が跳ね上がる。個人店でしたのでそこまでの出費が難しかったですし、都市部以外のいわゆる地方においてもいい場所を探すようになりました」。

またとあるイベントに出会ったことも地方に移転を加速させた大きな要因ともなった。

「オープンした次の年に“かわさきパン博”にお誘い頂きました。今でこそパンイベントは多くありますが、当時はほとんどありませんでしたし、オープン2年目で名前もまだまだ売れていないにも関わらず誘って頂いたことが嬉しくて、すぐに出店を決めました」。小さい町が“パン”を通じて町おこしをしているのを目の当たりにし、それを自分にも重ね合わせていたという。

「毎週金曜日に川崎町の方が新鮮でおいしい野菜を配達してくれるようになって、その日は店内でミニマルシェを開催してました。それも大好評だったですし、パンの材料やオードブルにも積極的に川崎町の野菜を使用していました。魅力的な食材を使ってパンを作れることに幸せを感じてましたし、地方でパン屋をオープンするのもいいなと思うきっかけになりました」

かわさきパン博のつながりで役場の方ともいい関係があった中、移住する際の住宅の紹介など親身に相談に乗って頂いたという。「中でも町長直々に住宅の紹介をして頂いたのはビックリしました」と、小さな町だからこその細かい対応にも徐々に惹かれていった。

また、そのタイミングで川崎町にある人気農家レストラン“ラピュタファーム”のパン工房の職人が体調不良の為に退職、「パン工房を使わないか」との打診を受けた。

 

全てのタイミングが一筋の光を照らすかのように繋がっていった。

 

「川崎町に移住しよう」

 

2018年6月、川崎町ラピュタファーム内に「パンとお菓子のアトリエ“IKURI”」をオープンした。

パンとお菓子のアトリエ“IKURI”のオープン。主にパンは海太郎さん、お菓子は恵子さんが担当している。

 

工房内の様子

 

【今後の夢とは】

地元の特産品をふんだんに使用することで、パンを通じて川崎町のPRをすることも今後は積極的にしていきたいと語る。「特に川崎町は食の資源が豊富でおいしい。パン工房のあるラピュタファームはぶどう農園でもあることからマスカット種の“博多ホワイト”から酵母を製造し使用したり、小松菜農家さんとタイアップした“小松菜食パン”やいちご農家さんとタイアップした“あまおうミルクサンド”など様々なパンを開発しています」と話す。

また「“おいしいパンを作り続ける”のは当然ですが、パンを中心とした様々な事にも挑戦していきたい」と語る海太郎さん。Les Petits Carresでも好評であったお惣菜やワインなど、“パンのお供”の販売も目指していきたいという。

また篠崎さんご夫妻が川崎町で選んだ住居はなんと築100年に近い古民家である。「今はようやく住めるだけの範囲をリノベーションしたが、今後は人が泊まれるような空間も作っていきたい。見た目は純和風だけど朝食には焼きたてのパンや、近くで収穫した野菜のサラダなどを提供するゲストハウスとか最高ですよね」。

地域の魅力をパンを通じて発信し、人との交流の場所を作る夢。今後の篠崎さんご夫妻の活動に目が離せない。

贅沢と語る“博多ホワイト”と“巨峰”の酵母。

 

小松菜を練り込んだ“小松菜食パン”。マスコットの焼き印もポイントだ。

 

“あまおう”を贅沢に使用したミルクサンド

 

その他、多数のパンを作ってます

 

大人気のシュークリームはふるさと納税でも好評

 

※現在、パンとお菓子のアトリエ“IKURI”のあるラピュタファームはバイキングレストランの営業を休止しており、カフェレストランのみの営業となっております。その影響によりIKURIのパンの販売もラピュタファーム内では致しておりませんのでご注意ください。パンをお求めの方は川崎町農産物直売所De愛までお越しください。シュークリームは川崎町ふるさと納税サイトからもお求めいただけます。

 

パンとお菓子のアトリエ“IKURI” Instagram URL:https://instagram.com/_ikuri__?igshid=nopw1hil5yii

川崎町農産物直売所De愛:http://ja-tagawa.or.jp/store/05_kawasaki

川崎町ふるさと納税サイト:https://www.satofull.jp/town-kawasaki-fukuoka/