岡山県北部、鳥取県と広島県との県境を有する新見市、その中でも異色な3億年前に海底が隆起してできたカルスト台地を有するエリアがある。それが今回の舞台、草間台地だ。お話を伺ったのはぶどう農家として独立就農し4年目の野田山裕一さん、製薬会社にてサラリーマン生活をしていた野田山さんが何故ご家族で移住し、ぶどう農家となったのか。農家に至るまでの背景と、これからに迫る。

草間台地の入口にある井倉洞は多くの観光客を集める

【農との出会いから就農の決断へ】

製薬会社に勤務、ご結婚さらに子供も授かりと順調と思える野田山さんの生活だったが、このままサラリーマン生活をするのに少しずつ違和感を感じ始めたと話す。

「漠然ではありましたが、独立したい想いはあったんですよね。サラリーマンでそのまま定年を迎えるのではなく、自分自身の事業をしていきたいと。でも“何で独立するか”なんか何も考えていませんでした」と話す野田山さん、農業との出会いはふとしたことだったと話す。

「交友関係の広い妻に連れられて、とある方と自分の将来についてお話をさせて頂いたんです。そこでこのように言われました。『将来は環境や自然に関わることをしている、たぶん農業かな』って。確かに自分の性格的には向いているかなと思いつつ、農業と言われても非農家出身の自分がどうやって農家になれるんだろうとその時は思いました」。

このような出来事があった中だが、なかなか農業について何か行動することはなかったと話す野田山さん、転勤で訪れた大阪でとある募集が目に留まった。『体験農園の利用者募集』だった。いい機会だと思い申し込みをした野田山さんだが、ここで農業の魅力に惹かれた。「野菜は買うことが普通だと思ってました。でも『自分でも作れるんだ』と実感しました。少しずつ就農に関して興味がでてきましたね」。

さらに周りの方々からも援護もあったと話す。「体験農園に農作業のアドバイザーの方がいらっしゃったのですが、その方からも就農を勧められました。『野田山さんは真面目だし筋がいい!農家でもやっていけるよ』って。おだてられたらその気にどんどんなってしまって(笑)」。

また奥様の仁美さんからもその時をこのように振り返る。「私も自然あふれる中で生活することに憧れを持ってました。ですので地方に移住し生活することは私も賛成だったんですよね。この時から家族で移住することを具体的に話し始めました」。

次のステップに歩みを進めた瞬間だ。

【移住に至るまでに ~新見市との出会い~】

地域移住し就農することを決意した野田山さんだが、農家となるべく道を探っていた。「そもそも移住し就農するにも何をすればいいかわからなかったです」と話す野田山さん、その時体験農園のアドバイザーの方からこのような話を聞いた。「体験農園を運営している会社が農業学校も運営していることを伺い、1年間勉強することを決めました。遠回りなのかもしれませんが、今思うと移住し就農するにあたりいい選択をしたと感じてます」。

特に2点、農業学校で学びがあったと話す。「1点目は農業は作るだけではないんだということ。“マーケティング”や“ブランディング”等も重要な事なのだと感じました。そして2点目は実際に農業されてる方の現場に伺えたこと。会社勤めで全く業界も異なる世界にいたので、農家の知り合いなど一人もいませんでした。その中で農業の現場を知ることが出来たのは本当に貴重な経験でした」。

新見市との出会いも偶然だった。移住先の候補となる場所の情報を得たいと思い大阪で行われた“新農業人フェア”に参加した野田山さん、多くの自治体が参加しているイベントだが厳しい声も多くあったと話す。

「一番のネックは年齢でした。補助金の関係などもあり“若手の就農者”を欲しがる自治体が多かったのです。実際『その年齢ならうちで就農はできない』と言われた自治体もありました。但し新見市は違いました。年齢も関係なく職員の皆さんも真剣に話してくれて、移住や就農サポート、独立後の支援まで丁寧にお話を頂きました」。

また新見市では具体的に“就農して何を作るか”までが基本的に決まっていたのだと話す。

「新見市ではぶどう農家になってもらう、その中でも“ピオーネ”を作ってもらうということが決まってました。就農する人は自分が作りたい野菜などがあるので、ここまで指定されるのは良し悪しなのかもしれませんが、私には魅力に映りました。実際ピオーネを食べたことがあったのでイメージが付きやすかったですし、産地形成出来ていることは新規就農者にとって農地の取得や販路の確保などでプラスになると考えました」。

また野田山さんは元々神戸市出身、奥様は広島出身とのこともあり「移住先は間を取って“岡山”かな」とも話していた。まさにこの新見市との出会いが、移住して就農するにあたって野田山さんの理想を叶えていったのだった。

魅力的に映ったと話すピオーネ

 

【新見市の移住制度のご案内】

≪新見市ってどんなとこ≫
岡山県の北西部に位置し、鳥取県や広島県との県境がある都市です。人口は約30,000人、面積は793.3㎢と県内でも2位の大きさを誇ります。「新見」「哲多」「哲西」「神郷」「大佐」の5エリアから成り立ってます。特に第一次産業が盛んになっており、西日本一位の出荷量を誇るりんどうや、気候やカルスト台地が生産に適していぶどうが有名。

≪移住についてはこちら≫
移住するにあたり特に不安に思われることが多い、「お仕事の支援」や「住み場所の支援」は当然のこと、お試し移住制度も充実。資料:新見市 新見生活応援ガイド

移住に関する問い合わせ先
新見市役所 総合政策課  電話 0867-72-6114

 

≪就農についてはこちら≫
新見市独自の助成も設けており、就農相談から研修独立までを一貫したサポートシステムがあります。資料:新見市 新規就農パンフレット

就農に関する問い合わせ先:
新見市役所 農林課 農業振興係 電話 0867-72-6133

 

【研修から独立、そしてこれからの目標】

2016年4月、満を持して新見市へ移住した野田山さん、2年間の農家としての研修がスタートした。「不安なこともありましたが行政やJAの方々のバックアップが厚く、本当に助けて頂いた」と野田山さんは話す。研修も1年毎に2つの農家で研修を受けた。「同じぶどう農家だったのですが、それぞれ特長のある親方農家さんで研修を受けました。1年目は基本に忠実で手作業が多く丁寧に生産する農家さん、2年目は基本を大切にしながらも比較的大きい規模を新しい機械も導入し生産する農家さんと。自分の農業スタイルを決めていく中で大変貴重な研修期間でした」。

また大枠として農業のスタイルは違えど、2軒の研修先での共通して教わったことがあった。それは“丁寧に丁寧にぶどうと接する事”だったと野田山さんは話す。「独立して4年経ちますが未だ自分独自の農法やこだわり等はありません。ただこの研修時に教わった“丁寧に丁寧にぶどうと接する事”については常に心掛けてます。」。

年に1回しか作れないぶどう農家、気候条件などの自然環境は毎年異なり、それに伴い生育状況も変わっていく、野田山さんは「毎年が農家1年生のようですね」と語る。

現在は6反1畝の畑でピオーネとシャインマスカットを作るまでに拡大した野田山さん、将来についてはこのように話した。「まずは何よりもぶどうを作って収入を上げていきたい、その為には率直に技術力を上げていきたいんです」と話す。「もちろんECサイトなどで直売をしたり、加工品を作ったりするなど販売先や販売形態を考えていく事は今後必要かもしれません。ただ今は技術を磨いていき、秀品率を上げていく事を第一に考えています。秀品率が上がっていけばJAを中心とした市場出荷でも十分に収益が上げれると考えてます」。持ち前の“丁寧さ”により磨きをかけ、より高品質のぶどうを作りたいと意気込んでいる。

また最後には地方ならではの魅力を感じながら、日常の生活を豊かにすることが何よりも大事だと思っていると話す。それは子供たちに向けたメッセージとも受け取れた。

「確かに田舎ですから無いものは無いです。息子からもピザ屋さんのCМが流れるたびに『食べたい!』と言われるのですが、宅配ピザなどもちろんありません(笑)。でも田舎ならではの良さももちろんあります。自然の豊かさも当然ですが、教育や遊びなどにも地元の方の接点が深くあったりと、国や自治体が共創社会を推進していますが、その先端をある意味田舎が享受しているのではないかと思います」。奥様は地方に移住し「本当に今の生活が幸せです」と話した。

充実した移住生活を送る野田山さんとご家族の方々、最後に笑いながら野田山さんはこのように付け加えた。

「ただ子供たちの将来の進路の選択肢を増やす為にも“稼がないと”と思ってますよ(笑)」。

念願だった移住が叶い、地方での暮らしを満喫する野田山さんご夫妻。

作業する格好も様になってきた野田山さん