鹿児島県薩摩川内市に属する甑島列島。3つの有人島といくつかの無人島から成る島々の最北に約2200人が生活する上甑島(かみこしきしま)という島がある。

その小さな島で毎年のようにビジネスを更新し続ける東シナ海の小さな島ブランド株式会社。同社の設立者であり代表取締役”百姓”を名乗る山下賢太(やました けんた)さんに、数多くの事業を運営する所以について甑島の背景とともに伺った。

東シナ海の小さな島ブランド株式会社

自家製豆腐が評判の「山下商店」、暮らしを伝える甑島の集落ガイド「しまなび」、宿泊施設「FUJIYA HOSTEL」、カフェレストラン「コシキテラス」、コワーキング施設「しまとりえ」などを運営。

山下賢太(やました けんた)

鹿児島県薩摩川内市(旧薩摩郡里村)上甑島出身。JRA日本中央競馬会競馬を中退し16歳でキビナゴ漁船の乗組員を経験。市内高校を卒業後、京都造形芸術大学環境デザイン学科で地域デザインを学ぶ。京都市内の民間企業を経て帰島。2012年「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」を設立した。

ふつうの”島らしさ”が最優先

生産、加工、販売、宿泊、観光ガイドなど、ジャンルを問わず事業を展開する東シナ海の小さな島ブランド株式会社は、島の景観を守るリノベーション事業会社として注目されている。ただ、山下さん自身はリノベーションやまちづくりを掲げて事業を進めてきたことは一度もない。

「景観を守ることを第一義にしているわけではありません。景観というのは、そのまちの生業から作られるもの。人々の暮らしが、そのまちらしく続いていくことを優先して事業を行っています。」

そう話す山下さんには、経営の指針とする独自の価値観がある。

「経営は、人・物・金と言うけれど、これからの時代は”人・物・場”が大切だと思っています。世の中は常に変化していますが、ひとが幸せを感じる場面や美しいと思える場所って大きくは変わらない。いつの時代も、変わって良いものとそうではないものが人にもまちにもあるんです。」

この価値観の源流には、子どもの頃見た大好きな島の光景がある。

石積みの防波堤の真ん中、そびえる大きなアコウの木。その下で麦わら帽子をかぶった漁師が、ラジオを聴きながら破れた網を黙々と繕っている。その隣ではおばちゃんが獲れたての魚を干し、猫が日陰で背を伸ばす。夕方になると夕涼みのために、誰からともなくここに集まっては世間話をしている。

「生きていくこと、食べること、働くことが直結したような島の暮らし。自然や環境を生かして、自分たちの命をより豊かにしていく。直接お金では計れない幸せが、幼きころの甑島には確かにあった。」

その甑島らしさがひとつの公共工事によって失われた。当時のショックは今でも覚えているが、経済発展を願った人々が選んだこと。土木建設業に従事する父親に育てられた山下さんは、すべてを否定することはできなかった。

「あの場は、もう失われてしまった。じゃあ、今とこれから、甑島という場が持つ意味や甑島らしい風景って何だろうと。そのために僕らができるビジネスはどうあるべきかを考え始めたんです。甑島で起業というと、何か特別な意図があるかのように見えるかもしれないけれど、行き着いたのは、目の前の暮らしをつくるということでした。」

山下商店の商品は、オンラインショップでも購入できる。

いくつもの小さな商いを立ち上げることで、人と物、島という暮らしの場の関係を作り直す。小さな経済を生み出すことを目標に、山下さんの事業はスタートした。

まずは衰退していた農業に取り組み、甑島産の米づくりプロジェクトを立ち上げた。その後、手づくり豆腐の店「山下商店」を開業。宿泊施設「island Hostel 藤や(現 FUJIYA HOSTEL)」をオープンした翌年にカフェレストラン「コシキテラス」の営業をスタート。2017年4月には、旧村役場の議会議場を改修したコワーキングスペース「しまとりえ」をオープンした。約15名のスタッフで6つの事業部を構え、年間6,000万円を売り上げる小さな地域商社となった。

コシキテラスやFUJIYA HOSTELでは、島で水揚げされた魚や山下商店のお豆腐などが食べられる

内外から選ばれ続けるために

山下さんは、島の経済を作り直すためにどうすれば島の内外から選ばれ続けるかを常に考えている。

「甑島のことを”自分ごと”だと思ってくれる人を増やしていきたい。」

そのためのきっかけづくりとして、2016年に「KOSHIKI FISHERMANS FEST」(コシキ フィッシャーマンズ フェス)を立ち上げ、2017年に2回目を開催した。お祭り当日は島で獲れた魚が新鮮なままに並べられ、漁師自ら魚を焼いて来島客をもてなす。

「この魚はあの船に乗ってこういう風に獲ったんだ」そんな話をしながら島の人々とお客さんがお酒を嗜みながら賑わっている。

「お客さんが地元に帰った時、島の漁師さん元気かな、新鮮な魚が食べたいな、と思い出す。海が荒れたり、台風がきたりすれば、遠くにあったはずの甑島を心配し、身近に感じる。このフェスをきっかけにして、気がつけば漁師の暮らしや甑島のことが”自分ごと”になってくるんです。」

1回目は大赤字だったと笑うが、それでもまた開催しようと決心したのは交流以外の目的を持っているからだ。

「水産業における流通の新しい選択肢を作りたいんです。」

甑島の場合、沖で獲れた魚はまず本島へ運ばれ陸上輸送されてから市場へ出る。その後問屋に流れ、スーパーや小売店に並べられる。その間の燃油価格、漁場や市場の処理能力、輸送コストなど様々な要因によって生産価格が変動してしまう。さらに季節やお客さん値段の感覚によって消費価格も変動するため、島で獲った魚の品質や量が必ずしも売上に反映されるとは限らない。収入が安定しないのが水産業の現状だ。

「価格決定権を漁師に取り戻し、お客さんへ直接販売できるなら地元漁協の水揚げ料だけで済む。年間を通じて、漁師の売上を良くしていく。既存の流通を止めるわけにはいかないですが、フィッシャーマンズフェスをきっかけに新しい選択肢を一つ増やすんです。」

フェスは目的ではなく、あくまで手段。年に1日だけだが、その後もお客さんと繋がる仕組みを作って他の364日を少しずつ変えていく。そのために今は通販サイト(FISHERMANS_364)の立ち上げ準備をしている。

お客さんの喜ぶ顔を直接見られることは、漁師にとって働く励みにもなる。水産業が今よりも安定した職業となり元気に働く漁師の姿を見れば、跡を継ぎたいと手を挙げる子どもが増えるかもしれない。

あるものを見出し、磨いていく

「大学時代と就職で5年間、京都に暮らして感じたことがあります。自分のまちにはなにもないというのは大きな誤解で、京都にあるものは、甑島にもすべてあるということ。姿形は違っても、伝統的なまち並みや芸能・生活文化や祭りごと、食文化、方言など。そして、大事なことは、自分たちの街の魅力を自覚して、それを大切にしているということです。僕たちは、特別なことではなく、甑島にあるものを見出し、磨いていけばいいんだと気づきました。そういう意味で、僕らは島の将来にある、ふつうの風景をつくる仕事をしているんだと思います。」

FUJIYA HOSTELは、2018年4月にリニューアルオープンしたばかり

17歳のとき、発展と引き換えに失われていく島の姿を見ながら「誰がこんな世の中を望んだのだろう」と肩を落とした。人口が減り、学校が減り、あらゆることがひとつにまとめられていく。そんな島のことを自分はどうしても諦められず戻ってきた。

「島が好きだから帰ってきたわけではなく、島のことを好きになりたくて。」

多くのひとが見向きもしなかった農業に取り組み、集落から消えた豆腐屋を復活させる。島の外から訪れた人を宿と、観光地を一切巡らないまちあるきのツアーで歓迎する。これらは、誰もやりたがらないことで、光のあたらない仕事だった。

「8割以上は反対されましたね。」

と振り返りつつ、

「でも、島を諦めたくない。諦めの悪い大人がいてもいいじゃないですか(笑)大切なことだから。自分がやってきたことは、いまの時代に評価されるより、次の世代の子どもたちに認めてもらいたいと思って取り組んでいます。今年生まれた子どもたちが大人になったとき、ここでの暮らしが、甑島らしいものだと言えるといいですね。」

時代が移りゆく中で失われた原風景。子どもの頃に見たあのアコウの木の”場”をどう取り戻すか。今はただひたすらに、確実に、何十年先にも残る甑島らしいふつうの風景を作っている。

●東シナ海の小さな島ブランド 株式会社

文:松田藍