神奈川県▶️田村市都路町

合同会社森の人 勤務 佐々木重人さん


 

阿武隈高地に位置する福島県田村市は豊かな山林に囲まれた地域で、市民生活と山林が密接な関係にあります。そんな田村市で林業に従事する人は、「林業で働きたい!」と最初からはっきり決めていた人だけではありません。「移住して第一次産業で働きたい」という希望を持っていた佐々木重人さんは、神奈川県で獣医として働いた後、事業をたたみ63歳で田村市へ移住、林業を事業とする「合同会社森の人」に未経験者として就職しました。「理想も大事ですが縛られすぎずに、少しぼんやりしたところも持ちながら、行った先で決まっていくことがある」と話される佐々木さんに、未経験で林業に就いて感じていることや、田村市での生活についてお話を伺いました。

東北人の人柄に惹かれ、自ら出向き人と会う中で、田村市に移住し就林することになった

僕は神奈川県川崎市で獣医をしていました。長らく「今住んでいるところから出たい」と思っていましたが、コロナ禍もあって動きづらく、実際移住に向け動き始めたのは2022年の8月末です。有楽町の東京交通会館に行き、ふるさと回帰センターで移住先として興味があった福島や宮城についてお話を伺いました。「一次産業で働きたい」という希望を話したところ、実際に田村市に関わっている方につながり、9月に初めて田村市の地を踏みました。たむら移住相談室の方にご案内いただきながら、ムシムシランドの吉田さんや森林組合の方にお会いしました。その後、開業していた動物病院を閉じる関係で自分自身が忙しくなってしまい、次に田村市に来られたのは2023年の3月半ば。その時に移住相談室の方が「合同会社森の人」の久保さんと引き合わせてくださいました。久保さんは「やる気があるなら4月から試験雇用するよ」と言ってくださり、「ならばぜひ」とお返事して、林業で働くことに決めました。

生き物が好きで獣医になり、約40年間小動物臨床の世界にいましたが、飼い主の犬や猫に対する感覚と自分のそれにズレを感じるようになり、仕事を辞めることを考えていました。10年ほど前のことです。悪い仕事ではないんですが、もっと自然に近いところで、体を動かして働きたいと考えるようになりました。10年早く来られれば、もっとよかったかもしれません。

ベージュの作業着を着ているのが佐々木さん。写真は支障木(電線に引っかかりそう等、生活の支障となり得る木)の伐採サポートの様子。木が倒れる先をロープで誘導し、安全な方向・場所に倒している

移住を考える前から福島には興味があり、三春の滝桜を見に行くなどしていました。東日本大震災が起きた時も気がかりでしたが、直後のタイミングに行くのは良くないような気がして足を運べずにいて。震災から2〜3年経った頃から、語り部の方が震災での経験を話すようになったと知り、お話を聞きに東北を訪れるようになりました。語り部の方とお話しているうちに、静かで粘り強い東北の方の人柄に惹かれるようになったんです。「東北の人っていいな」と思いました。

こちらに来てから感じるのは、ここの人たちは他人の違う意見を聞くことができるという点です。違いをそのまま置いておいて、明日また話ができる。「会話」をしています。都会の人は「会話」というより、自分を主張し相手を説き伏せ、どちらが正しいのか絶えず白黒をつけています。意見の違いは財産です、別の視点があるんですから。違いは、生かすものだと思っています。明日どちらの考え方が役立つかは誰にも分かりませんし、答えは無いと思っています。昨日の答えを今日当てはめるのは無理です、状況は変化し続けているんですから。「会話」は、お互いの話を聞き、影響を与えあう行為だと考えています。人の話を聞くことで、自分も少し変化していきます。田村の人たちが「会話」できるのは、この土地で代々生活する人たちによって育まれてきた、人と自然との間にある関係性にまつわる知恵が、人同士の関係性にも生かされているということかもしれません。

林業にこだわっていたわけではない。土地の豊かさを次世代に橋渡しするために選んだ一次産業

原発事故が起き、それまで自分が関東でのほほんと電気を使っていたことや、福島の人たちに負担が集中してしまったことにうんざりして、何かできないかと考えるようになりました。ここには水があり、食べ物を作ることができ、人が暮らしていくために必要なものが全てあります。先人が作業したこの豊かな土地を、荒れさせるのはもったいない。育まれた知恵を絶やすのは忍びない…。技や知恵の伝承はできなくとも、「こんなことができる人がいた」というような、そんな記憶を次の世代の人に受け渡せたら良いんじゃないかと考えるようになりました。この合間をつなぐために、一次産業で働きたいという考えに至りました。だから林業にこだわっていたわけではないんですよね。

人が手を入れると自然ではなくなる、という見方がありますが、明治神宮の見事な森は、人が手を入れなければ荒れていきますよね。自然は移ろうものです。里山は人が上手に手を入れることで、むしろ多様性を増し、見事な生態系を構築しています。変化の少ない形の中に、生き物を育み、そのおこぼれを人がいただくシステムです。これも自然というか、人が自然の中の1つのピースになっている、そんな感じです。人が自然を守るのではなく、自然に人が守られているのです。そう思えば、働きかけは自ずと違ってくると思います。

写真右が伐採対象の木。そのまま倒すと奥の小屋を潰してしまうため、ロープを用いて手前の広場側に倒すよう誘導する。チェーンソーで切る人の速度に合わせ徐々にロープを引っ張るので、誘導側の技術が要求される

動物はいつも「今」から始めます。高望みをしません。足が1本動かなくても、その状態に折り合いをつけ生きていきます。たくましいです。「合同会社森の人」に就職したら、周囲の人が自然との関わりを強く持っている方ばかりで、田んぼや畑のことなど、仕事以外のお話もたくさん聞くことができています。東北の人たちの自然との距離感には、学ぶこと、感じることがたくさんあります。その知恵が無くならないようにしたいですね。橋渡しです。

未経験の林業。先輩たちの背中を見て教わりながら上達する

60代で未経験の業種に就き働くことになりましたが、分からないことは聞いて教わりながらやればよいと考えていました。チェーンソーと刈払機の資格は会社に入ってから取らせてもらい、今は特殊伐採に携わるための講習を受けています。特殊伐採とは、単純に伐倒できない木について、木に登ってあらかじめ枝を落としたり、幹を先から少しずつ切り落としたり、いろいろな工夫をして、自分にも周囲に対しても安全に木を切る特殊な手法のことです。なかなか技術がいりますが、慌てず覚えて、手伝えたらと思っています。

体力を心配されることがありますが、自分では10年前よりも元気だと思っています。10代後半にサッカーで膝を怪我して走れなくなったのですが、それをうまくケアできず、40代の時に膝に水が溜まってまともに動けなくなってしまったことがありました。これをきっかけに、身体感覚に耳を向けることや、体のケアに努めるようになりました。体のことは体にまかせる。生き物の体には驚くほどの回復力、適応力があります。今は走ることもできます。動物から学んだ手法です。

気候が良くなるとあっという間に雑草が伸びる。刈払作業を何度も行い木の生育を守る

たむら移住相談室を利用し辿りついた住まい。移住希望者が一歩踏み出しやすい住まい環境とは

大型犬と一緒だったこともあり、住まい探しは難航しました。仕事を決めてから住まいを決めるのが良いのか、あるいはその逆が良いのか、順序が分からなかった。詳しい方にご相談しても、この点については明確な見解があるわけではない様子でした。

あれよあれよと仕事が見つかり移住することも決まったわけですが、4月の試験雇用が始まった時点でも住むところは決まっていませんでした。約1ヶ月ほどチャレンジハウスに滞在、その後数日間は常葉町の大美屋旅館さんに滞在し、仕事場まで通いました。その間も移住相談室の方が家について何度かご連絡くださいました。住まいが無いまま働き出していたので、とにかく懸命に探してくれていたんだと思います。何軒か見学した後、5月末から都路町にある現在の家に住み始めました。空き家でしたが、大家さんがきれいにしてくださっていて、入居してすぐに生活を始めることができました。都路の冬は寒いですね。朝起きると玄関に霜が降り、台所に張った水が凍っています。

仕事が決まり、大家さんも良い方で、僕は本当に運が良かった。住まい探しに困る中で、すぐに入れて半年から1年くらい住める家があったらいいなと感じました。チャレンジハウスほど広くなくとも、水があって寝る場所さえあればOKという方もいるでしょうし、それこそプレハブでもいい、もちろん家賃がかかって構いません。住まい探しの事情は、田村市と都会とでは全く違います。それをこなせる人もいれば、ちょっと難しいと感じる人もいるはず。仮住まいがあることが、一歩の踏み出しやすさに直結するように思います。

そういった場所に暮らすうちに家を見つけるケースもあるでしょうし、大工さんとシェアハウスしながら改装していくなんてこともできるかもしれません。「いい土地だな」と実感を伴って思えるようになるタイミングは、会社やまち中で人と話すなど、実際に生活し始めてからです。この土地で暮らしてみようかなと、理屈でなく体感するためのバッファがあると良いのかなと思います。

東北の人の空気感に触れ、人と話すことが少し楽になった

田村に移住してから、小学校の時の友達と連絡を取り合うようになりました。両親が東和町のご出身だそうです。その後も、期せずして福島に繋がりを持つ友人、知り合いが何人もいたことが分かり、びっくりです。あとは、性格が明るくなったと言われたことがあります。僕は何も変わった気はしていませんが、こちらに来てから人と話すのが少し楽になった感じがします。「会話」があるからかもしれません。僕は人見知りで、人と話すことが苦手です。自分の考えを相手に理解してもらえる言葉に変換するって難しいですよね。要因はほかにもたくさんあるように思いますが、田村の人というか、東北の人たちの空気感が体も心もほぐしてくれて、言葉を発しやすくなった、という感じかもしれません。

穏やかな口ぶりの佐々木さん。「リーダーはいらないと思うんです。道は話し合っていれば、なんとなく決まっていくもの。誰が正しい、なんて話をしないことです。若い人と話すのが好きです。いつも違う意見を聞け、違う視点に気付かされるからです。」

移住は人それぞれですから、「こうすれば絶対うまくいく」というものは無いと思います。「理想の移住」に縛られすぎることなく、余白を持ちながら決めていくやり方もあるような気がしています。

合同会社 森の人

住所:福島県田村市都路町古道字新町45-1
電話:090-2843-7965(代表:久保)
HP:https://morinohito-llc.com/

 


この記事を読んで田村市での生活に興味を持った方、移住を検討している方は、お気軽にたむら移住相談室へご相談ください。

たむら移住相談室

Web:https://tamura-ijyu.jp/
電話:050-5526-4583
メール:contact@tamura-ijyu.jp
※たむら移住相談室は株式会社ジェイアール東日本企画と(一社)Switchが共同で運営しております。