
ふるさとまつり 待望の町内での開催の様子(大熊町写真館より)https://www.town.okuma.fukushima.jp/site/shashinkan/23021.html
大熊町の熊川地区に、約300年間受け継がれてきたという伝統芸能「熊川稚児鹿舞(ししまい)」。
東日本大震災と原発事故によって熊川地区の住民が離れ離れになる中でも、人々はこの舞を絶やすことなく守り続けてきました。子どもたちが舞い、大人が支え、世代を超えてつながってきた鹿舞の歩みについて、保存会会長の宮本明さんにお話を伺いました。
長年継承されてきた、子どもたちの鹿舞
熊川稚児鹿舞は大熊町の熊川地区に伝わる伝統芸能で、町の無形民俗文化財にも指定されています。約300年前に始まったと言われ、地区にある諏訪神社の祭礼で奉納されてきました。大野駅西の産業交流施設「CREVAおおくま」のホールの上に展示されているのも鹿舞の様子を描いた緞帳で、震災前に農村環境改善センターに展示されていたもの。子供達が生き生きと舞う様子がきらびやかに描かれています。

緞帳に描かれている通り、鹿舞は4人の子どもたちが舞手として踊るのが特徴で、舞手は5年に1度、地区に住む10〜15歳の男子から選ばれました。鹿舞を継承するため、原則、熊川地区に生まれた長男が舞手を務めました。そして大人になると指導者として子どもたちに鹿舞を教えながら、伝統を次の世代につなげてきました。宮本さん自身も1961年に舞手に選ばれました。「今年75歳になるので、60年以上鹿舞に関わり続けていることになります。祖父も舞手を務め、父から踊りを学び、そして息子や孫に踊り方を伝えてきました」と話します。

舞手に選ばれるとそこから5年間、舞手を務め続けることになります。特に練習が必要なのは1年目。8月26日、27日の諏訪神社の祭礼に向け、夏休みの1か月間毎日練習を積み、全編通すと1時間ほどある踊りを体に叩き込ませました。
毎年8月26日の宵祭りの夜には五穀豊穣や無病息災、大漁祈願を願って諏訪神社に舞を奉納しました。大勢の住民が見守る中、子どもたちを指導していた地域の大人たちも唄や太鼓、笛で子どもたちの舞を支え、地域が1つになる瞬間がそこにはありました。また、鹿舞は町民全体が集まる町民体育祭の昼休みにも披露され、熊川地区に限らず、大熊町の人たちに親しまれていた伝統芸能でした。

震災前、2010年の鹿舞奉納の様子(大熊町写真館より)
https://www.town.okuma.fukushima.jp/site/shashinkan/2534.html
震災で離れ離れの状況でも避難先で鹿舞を復活
しかし、その歩みは東日本大震災を機に一変します。熊川地区を襲った津波で諏訪神社の社殿が倒壊、近くの集会所に保管していた鹿頭や太鼓などの道具や衣装が津波に流され、後に見つかったのは太鼓1つだけでした。
さらに原発事故の影響で住民は町外への避難を余儀なくされ、離れ離れになりました。宮本さんはいわき市に避難。保存会のメンバーも郡山市や栃木県、茨城県など各地に避難しました。1年ほど活動ができなかったものの2012年8月、郡山市に保存会のメンバーが集まり復活を目指すことになりました。
町内の小学校、中学校は多くの町民が避難した会津若松市で再開しており、宮本さんたちは会津若松に避難していた熊川出身の小学生に声をかけ、2013年に舞手の4人を選びました。そして1年3か月の練習期間を経て2014年7月、会津若松市で鹿舞が披露されました。震災前の2010年以来、実に4年ぶりの「復活」でした。熊川地区には戻れない日々が続きましたが、県内、県外各地で鹿舞を披露し続けました。宮本さんは「鹿舞をやめるのは簡単だったが、一度やめてしまうと復活させるのは大変だと思いました。自分たちが続けられるうちは続けていきたいと考えていました」と当時を振り返ります。

2014年、会津若松で4年ぶりに披露された鹿舞の様子(大熊町写真館より)https://www.town.okuma.fukushima.jp/site/shashinkan/2272.html
移住した子どもたちも加わり、伝統を継承
「復活」から10年。大熊町全町に出ていた避難指示は解除され始め、かつて大熊に住んでいた住民たちも町に戻り始めました。しかし、熊川地区周辺は中間貯蔵施設エリアとなり、自由に立ち入りができない状況が続いています。
子どもたちや指導者たちが離れ離れという状況は変わらず、舞手の子どもたち選びも難航しています。それまでは原則、舞手は熊川地区に生まれた長男が務めることになっていましたが、2018年、震災後2代目となる舞手に女子が選ばれ、笛には移住者も加わりました。さらに2025年には「学び舎ゆめの森」に通う移住した子どもたちも舞手に選ばれました。
移住した子どもたちが舞手に選ばれたきっかけは、2024年の学び舎ゆめの森のスポーツフェスティバル(運動会)で、熊川稚児鹿舞が披露されたこと。この映像をゆめの森で流していたところ、ゆめの森に通う小学生が「やってみたい」と手を挙げたそうです。
現在はいわき市や大熊町内のOICやCREVAおおくまで練習をしていますが、集まれるのは月数回。宮本さんは「震災前は1か月毎日練習して身につけたもの。今の練習ペースだと、本当に習得するには2年かかる」と話します。宮本さんは「本音を言えば熊川地区の出身者に引き継いでもらうのが一番ですが、子どもたちも指導者もばらばらの状況ではなかなか難しい」と悩みを打ち明けます。それでも鹿舞の保存に情熱を注ぐのは、熊川地区で長年継承されてきた伝統があるから。
「私の父、祖父も踊った舞。200年、300年と続いた伝統を大切にしていきたい。私も75歳になり、いつまで指導できるかはわからなりません。興味を持ってくれる子供たちに引き継いでいきたいです」と話します。
