記事のポイント

  • 「足りない」「売れない」糧になった東京での失敗
  • 「売りに行く」から「食べにきてもらう」に戦略を変えた
  • 手段としての町営イタリアンと地域おこし協力隊「耕すシェフ」

NHKの「プロフェッショナル-仕事の流儀」に登場(2016年)し、このほど単著「ビレッジ・ブライド〜0円起業の町をつくった公務員の物語」を世に出した島根県邑南町のスーパー公務員寺本英仁さん。寺本さんの現在の肩書きは「食と農産業戦略室調整監」だ。もともと町役場にあった部署なのかを尋ねると、「ない、ない。」と瞬時に答えが返ってきた。一時が万事。寺本さんはこれまでも、目的を果たすために迷いなく既存の枠組みを組み替え、町の常識を覆してきた。その結果が、行列のできる町営イタリアン「AJIKURA」であり、年間約2億円売り上げる直売所であり、数年間で開業された20店舗ちかくの飲食店であり、山あいの小さな町に訪れる年間92万人もの観光客だ。地域を元気にするとはどういうことか。この記事では、寺本さんが踏破してきた数々の事案を追いながら、地方創生の真髄を洞察していく。

Episode1-東京の百貨店の言いなりはだめだと気づいた

寺本英仁さん(右)

地方創生の文脈では、とかく「何がいくら売れた」「どこに何人来た」といった経済効果ばかりが取り沙汰されがちだが、公共セクターの本来の仕事は福祉や教育、公衆衛生や防災、資源管理といった、市場原理にのらないテーマがほとんどだ。

そんな中で、公務員である寺本さんが「食」「農業」「観光」で収益を上げる”稼ぐ地方創生”にのめりこむようになった背景には、ある原体験がある。遡ること14年前のことだ。

「平成16年頃、東国原知事の影響で自治体による『外貨獲得』が流行りました。邑南町でも地域内の人口が減少してものもサービスも売れなくなったから外に稼ぎに行こう、という話になったんです。そこで、石見和牛といううちのブランド牛を某一流ホテルのバイヤーに売り込んだ。すると、『フェアで扱ってあげるから、2週間で200頭のサーロインとフィレ肉だけ持ってきて』って言われました。」

石見和牛の生産量は、年間200頭。全く足りない。さらに、寺本さんが「残りの部位はどうするんですか?」と尋ねると、バイヤーは「自分でなんとかして」と答えた。邑南町の1億円産業は、石見和牛とお米、白ネギと牛乳の4つ。その一角である石見和牛が、東京のたったひとつのホテルで2週間でなくなる。「ものを売りたいといっても、売れるものがない」という地方の現実を突きつけられた。

東京の市場が求める物量に対応するには、県単位でブランドをまとめるしかない。町の独自ブランド「石見和牛」でいくのか、県と一緒に「島根和牛」として売り出すか。平成23年に「農林商工等連携ビジョン」を策定したとき、寺本さんは町の人たちと話し合った。町の人たちの意見は、「島根ブランドはいやだ。ただの生産者になりたくない。自分たちでつくっている誇りがほしい」というものだった。

また、こんなこともあった。6次産業の担当になった寺本さんがジャムをつくって東京で売ろうとしたところ、大手百貨店のバイヤーから「デザインが悪い」と指摘を受け、デザイナーを紹介された。

「10万円ぐらいかかるので、商工会の補助金を使って直して持って行きました。そうすると置いてくれるんです。でも、たったの2週間。ほかの地域の、同じようなブルーベリージャムが待っているからです。百貨店としては、さまざまな地域の産品を並べてお客さんの目先を変えたいわけで、僕らのジャムはその一つのコマでしかないんです。」

次に別の百貨店に持っていくと、また同じことが起きた。自分たちの旅費と夜の飲み代とデザイン費。これと売り上げ総額のどちらが多いかは歴然。外貨を稼ぐどころか東京にお金を回している現実がそこにあった。

Episode2「高級レストランは東京にある」固定概念からの脱却

こうした失敗を糧に、邑南町は「外に売りに行く」のではなく、「外から食べにきてもらう」戦略に舵を切った。

「ジャムを売りに東京に行って気づいたんです。地方から東京へは、人も流出しているけど食材もいいものが東京に流れているな、と。ところが、ヨーロッパのミシュラン星付きレストランは地方にもある。いい食材があるから、いいシェフが来て腕をふるって、そこに世界中からお客さんが来る。

邑南町は、石見和牛とお米、白ネギが育つ美しい山村

いいレストランをつくって、そこで自分たちが育てた食材が料理されてお客さんが喜ぶのを農家が見れば、生きがいが倍増するのではないか。そう考えた寺本さんは、町営の高級イタリアンレストランをつくることにした。

「地方にある郷土料理をメインにしたレストランよりも、かっこいいイタリアンレストランとかのほうが、生産者が喜ぶんじゃないかっていう単純な発想です

やると決めた寺本さんの前に、さまざまなハードルが立ちはだかった。まず、町内の飲食店から担い手を探したが、誰もやりたがらなかった。

「なんでやりたくないか聞いたら、『地元の野菜がどこに行けば買えるのかわからない。業者にまとめて頼めば野菜は揃うし、手間やコストのこと考えるとレトルト食材を活用することが利便性が高い』と言われたんです。」

そこで、寺本さんは町営の新店をオープンすることにした。空き物件を地元の若手大工さんに頼んで改装。後述する方法でスタッフを集めて始めたAJIKURAは流行った。それを見て、ほかの飲食店の間でも地元の野菜を使うことがムーブメントになった。いきなりみんなでやろうとせず、ひとつ目に見える実績をつくれば、まわりは後からついてくる。これは、寺本さんが経験から得ていた成功パターンだ。

「特産品のネット販売を手がけたとき、役場ですから邑南町の人たち多数が賛同してくれないとだめだよ、というトーンだったんです。でも、僕は自分が一番おいしいなと思っていた石見和牛を売りたかった。それで、ある生産者を口説いて、『一緒に頑張りましょう』って言って贔屓しました。そうしたら、すごい売れたけど、すごい批判も買った。『なんで石見和牛ばっかり。農家とベタベタしやがって』って言われたんです。でも、実績が出ていたので、『俺もやってみたいな』となるんですよね。」

「全部をいっせいによくしようとすると、難しいんです。だから、仕掛ける時に一人だけ贔屓するっていうのはすごい大事なテクニックなんですよ。そうすると、成果が出しやすい。成果を出すと、周りは文句を言いながらついてくる。一番いいものをピックアップして、生産者に『すごくこの商品好きなんです』って言った瞬間、その生産者からすごい信頼が得られると思います。それで、本当に自分が気に入ったものを売っていく。だって、だめなもの売ってもだめなんですよ。実績をつくった後、『なんとかしてくれよ』と相談に来る生産者の方にアドバイスをするときも、実績があるとないとでは言葉の伝わり方が違う。実績もないのに『あなたのここがダメですよ』とか言ったら、感じ悪いだけでしょ」

地域にひとつ、AJIKURAという実績をつくったことが、多くの人を動かす着火剤になった。その結果が、20店舗もの飲食店が新規オープンするという成功なのだ。

Episode3.独自コンセプト「耕すシェフ」で地域おこし協力隊を募集

ところで、AJIKURAの開業に町の予算がついたわけではない。このとき寺本さんは、「お金がないけどやめないほうが面白い」と、仕組みづくりに知恵を絞った。そうして誕生したのが、「耕すシェフ」という独自の地域おこし協力隊募集コンセプトだ。

「発想は単純で、地域おこし協力隊を町営レストランの従業員にすれば、人件費を国に負担してもらえると思ったんです(笑)。でも若い料理人にとって、その時点では、何の実績もない田舎のイタリアンレストランで働くメリットなんてないじゃないですか。そこで、『農業と料理を教えます。3年勉強したら起業できますよ』というストーリーをつくりました。」

ストーリーはできたが、肝心の教える人がいない。いないので呼ぶしかないが、呼ぶお金もない。そこで、地域おこし協力隊に給与とは別に支給される活動費を、委託費として新設した食と農人材育成センターに入れ、この資金で一流シェフを呼ぶことにした。

食と農人材育成センターが運営する町立「食の学校」(別名A級グルメアカデミー

ただし、地域おこし協力隊には、1人あたり年間で最大400万円(給与200万円+活動費200万円)、3年間で1200万円がかかる。このコストを国か負担するという制度だが、実際は国からもともと交付されている特別交付金に含まれる。地域おこし協力隊を受け入れても受け入れなくても特別交付金は変わらないため、とどのつまりは他のことに使っていた予算を削ることになる。これを嫌って受け入れをしない市町村もあるのだ。

このハードルを突破するため、寺本さんは地域おこし協力隊のメリットを整理した。

地域おこし協力隊に支払う給与200万円のうち、121万円は生活費として地元で使われるという調査結果があります。つまり、2/3は地域に回るお金になる。非常に地域循環率の高い直接交付なのです。これを言うと、町の人たちはすごく納得します。」

また、邑南町は地域おこし協力隊の流入が大きく影響して、町の人口統計は3年連続社会増となっている。

「『人口1万人クラスの自治体で全国初の社会増を達成しました。』という事実は、どんなパンフレットをつくるより高いPR効果があります。そのほうが宣伝になると説得し、PRツールの予算を落としました。テレビが取材に来るような状況をつくるほうがいいんです。」

振り返れば納得のプロセスだが、未踏の難所はいくらでもあった。

石見和牛の物量が足りなかったとき、百貨店でジャムが売れなかったとき、地元の飲食店がだれも地産地消レストランをやりたがらなかったとき・・・。そのたびに胆力を発揮して知恵を絞り、論理を構築しまわりを納得させて町営の高級イタリアンレストランの成功を手にした寺本さん。後編では、この成功が起爆剤となり、邑南町が外貨を稼ぐ飲食業の起業多発地帯へと変貌を遂げた顛末をお届けする。

取材・文 浅倉彩


寺本さんの単著「ビレッジプライド〜0円起業の町をつくった公務員の物語〜」は、”0円起業の町 邑南町”が出現するまでの紆余曲折を寺本さん自身が振り返った回顧録。邑南町に興味が湧いた方は、ぜひこちらもお読みください!