–
この記事の目次
この1週間で、爆速で流行中の”Clubhouse(クラブハウス)”って?
「え?それ何?」と感じた方も、全く焦ることはない。それもそのはず、国内で爆発的に流行り始めたのはなんとこの1週間以内。しかもスマホアプリはまだiPhoneのみでAndroidユーザーは使えない。しかもまだ日本語化さえされていない。それなのにというか、それだからなのか、FacebookやTwitterなどのSNSは、かなりその話題でもちきりだ。おそらく、今週辺りにテレビなどでも解説されてくるだろう。そのくらいホヤホヤなのだ。検索キーワードのトレンドを示すGoogle Trendでもその様子がみてとれる。1月24日週に、それ以前の100倍以上の検索数になっているようなのだ。
少し前に、マストドンというSNSが同じようにいきなり流行したことがある。しかしあればかなりテッキー(技術的)なマニアックさが強く、いわゆるデジタル界隈のみの広がりだった。今回のClubhouseはそれとは違って、いきなり芸能界や経営者などの著名人が数多くなだれ込んでいる。これもある意味、コロナ禍で幅広い人たちがSNS熟練度を上げたからなのかもしれない。筆者も何を隠そう、まだ使い始めて3日目。分析・解説などおこがましいのは山々だが、それでも面白い発見もあったので、感じたことを整理して皆さんと共有しようと思う。今までのSNSと何が違うのか?
Clubhouseの特徴は、まず「音声のみ」でしかも「ライブ配信」のみというかなり尖った機能になっていることだ。音声のTwitterという表現もちらほら見るが、それも当たっているようで、そうでもない気もする。
というのも、このSNSは謂わば「井戸端会議」配信プラットホームだからだ。
使っていない方に伝わるか自信がないが、とにかく一人だけで一方的に発信することはできない。話し相手が入ってきて始めて配信できるのだ。今は全くできていないが、コロナ前の世の中ではプライベートからオフィシャルまで、誰かと面と向かって気軽に言葉を交わす雑談の機会が当たり前にそこかしこにあった。それがアプリ上でできて、しかもフォロワーに聞いてもらえる、主催者が指名すれば、誰もが話す側に加わえるというものなのだ。(伝わるだろうか…。)
音声だけというのも大きな特徴になっている。話している人たちはおそらく自宅で、パジャマ姿にイヤホンだけで気楽に話している人が大半だろう。聞く方もおそらくそうだろう。なのでどのルーム(会話の集まり)も、驚くほどリラックスした雰囲気で会話がされている。しかもゆるいテーマ設定で、ただ集まれる人が集まってダベっているだけなので、話にまとまりもなく、脈絡もない。それでも不思議なことに、やはり一角の人物が集まるような場には、それなりの盛り上がりが感じられて、話の内容もなんだか楽しい。趣味の集まりや、同窓会的なものにもフィットするだろう。
またこれも流行らせる仕掛けとして有効に働いているのが、このアプリにに参加できるのは招待された人のみだということ。おそらく最初の時期だけだろうが、自分は「招待された」のだという高揚感も場の雰囲気づくりに影響しているようだ。
しかし不思議なものが流行るものだ。想像だが、この1週間で数万人から10万人、もしくはそれ以上の日本人が、このClubhouseを同時進行で体験している。この加速度的な広まり自体も、もしかしたら初めての体験なのかもしれない。
少し冷静な分析を試みたい。
SNS自体の価値については、もう語る必要もないくらいこの社会に浸透している。個人レベルでの情報共有は、我々のコミュニケーションの一つの手法として定着したといっていいだろう。一方で、SNSの種類によって実はその発信に要するスキルと、発信自体の「気軽さ」にはかなりの差がある。
この発信に関わる2軸となるスキル(技術)とマインド(気軽さ)で、日本人に馴染みのあるSNSをマッピングしてみた。あくまで私見による「ざっくり」したものなのでその点はご容赦願いたい。
ここ1~2年で大きく躍進したYoutubeは、芸能界からの進出も激しく、ある意味テレビ業界を侵食するかの勢いだ。しかしその発信の難易度は、ほかのどのSNSよりも高い。いくらスマホで動画が簡単に撮影できるとは言え、それを視聴に足るものにするのは並大抵ではない。逆にそれができる人がYoutuberとして多くの収益を得られるのは当然といえば当然だ。芸能界からの進出も考えてみれば何の不思議もない。しかしその影響力の大きさは時として炎上を生みやすく、心理的負荷も高いのも、他のSNSとは比較にならない。その難易度を大きく下げて、誰でも簡単にエンタメ度の高い動画をアップできるようにして飛躍したのがTickTokだ。しかしやはり「人気」になるには才能や容姿などが必須で、そこには「能力格差」があると言っていいだろう。
日本では10年前の東日本大震災の前後に普及した、TwitterとFacebookは、主にテキストと写真による共有なので、その難易度は動画よりは格段に低い。その両者の違いは「匿名」か「実名」かの違いと、「全公開」か「非公開も可能」かの違いが大きい。Twitterは匿名で140文字で、気楽で簡単なので、日本人は世界有数のTwitter好きと言われている。facebookは少しオフィシャルで、仲間内のコミュニティづくりに適している。しかし原則実名だけに、それなりに意思をもって投稿するものだとも言えるだろう。炎上のしやすさは匿名可のTwitterのほうが格段に大きい。
国内で最も普及しているのがLINEだ。これはもう社会インフラといっていい。基本的には友人・知人と繋がる「簡易なメール」で、スタンプによるコミュニケーションの演出も簡単この上ない。
こうして発信側の観点で並べてみると、当然のことながら「発信者」の数は右上に行くほど少なく、左下に行くほど多くなっているはずだ。しかしSNSは同時に受信者もいてこそのサービスなので、必ずしも発信者が多ければ広まるというわけでもない。その両者がそれぞれのサービス価値のバランスでうまく広がるかどうかが鍵になっているだろう。
Clubhouseの本質はどこにあるのか?
こうした観点で、この新しいClubhouseの位置を考えてみると、おそらく「左下」になるだろう。面白いことに、直近で急速に流行ったYoutubeとは真逆の位置になるのだ。ここもまた、この数日の爆発的な流行に関係している可能性もある。
というのも、まずは「音声だけ」という特徴から、テキストや写真以上に情報のシェアが楽だからだ。なにせ「しゃべるだけ」なのだから。一方で、Clubhouseは面白いことに実はおそらくほとんどの人が「実名」で利用している。なぜなら、自分だと認識して見つけもらって誘ってもらう必要があるからだ。しかしそれがリスクに感じるかというとそうでもない。なぜなら仮に見知らぬ人と会話を交わしたり、飛び込みで発言したとしても、その音声が録画されアーカイブされることはなく「その場限り」だからだ。「良くないね」ボタンもなく、コメントすらないので、炎上のしようがない。批判リスクを感じること無く、気軽さ気楽さを徹底している部分は、いままでのSNSには無い特徴と言える。こうした点がまさにYoutubeとは「真逆」なのだ。
コロナ禍中、様々な理由でYoutubeは急速に広まった。一方でそこかしこで炎上も起こったり、Youtuber絡みの事件もあったりしたことで、視聴者は知らず知らずのうちに感じる緊張感もあり、思いの外の「ストレス」も感じていたのだろう。
そうした様々な刺激が満ちたYoutubeとは真逆のClubhouseは、焼き肉の食べ放題のあとのデザートのように、ホッとする楽しさ、優しい甘さを感じさせているのかもしれない。
Clubhouseは日本で本当に広まるのか?
しかしだからといって、これがどこまで広まるのかは、まだ掴みきれないのが正直なところだ。再三言い訳がましいが、まだ3日しか使っていないし、話題になりはじめて1週間程度だしで、私だけではなくまだ懐疑的な人も多いだろう。しかしそれでも、大いにその可能性を感じる点も少なくない。
その一つは、まずは「音声」だけだということ。これは発信者の負荷を下げるというだけではなく、ユーザーの視聴シーンも広げるものだ。実はこれ以外にも音声SNSは、StandFMやVoicyなどここ数年で様々なものが広がりを見せている。ラジオと同じく、ユーザーは歩きながら・運転しながらなどの「ながら聴き」ができるからだ。しかも音声だけだとユーザーの離脱が少なく長く滞在する傾向にあるようで、広告との相性もいいとも言われている。コロナ禍中にはAmazonの書籍朗読アプリ「Audible」も急速にユーザー数を増やしている。音声を中心にしたSNSやサービスは、これからさらに市場を拡大していくだろう。
さらにその性質で特徴的なものがある。それはこのSNSが非常に「フラット」だということだ。要するに(チャンスがあれば)著名人の人とも気軽に言葉を交わせたり、見知らぬ人とも上下関係を感じることなく会話ができたりと、フラットなスタンスで参加できるのがその大きな特徴なのだ。フォロワー数などでステイタスの差を感じることもあるだろうが、Twitterなどでその数字の差にも慣れてきた時代なので、それほどそのフラットな心地よさを妨げないだろう。
そして最後に、このコロナ禍での登場というタイミングだ。多くの日本人がZoomでオンラインでの会議やセミナーを経験したこの1年。仕事や授業はなんとかそれでカバーできたかもしれないが、正直我々の気持ちは満たされているとは言い難い。それは「実際に会えない」からだと思っていたのだが、このClubhouseを使っていてふと思ったことがある。顔が見えていても寂しかったり、物足りなかったのは、実は「心を開いて話していないから」ではないかと。
この音声だけのSNSは、前述のとおり非常にリラックスした緩やかな情報交換の場になっている。それは、リアルのオフィスに出社できなくて最も困った「緩やかな繋がり」すなわち「井戸端会議」や「雑談の場」をオンラインで実現させるものになる可能性があるのだ。冒頭で「井戸端会議」配信プラットホームと表現したのは、実は非常に深い意味がある。もしかしたら、我々がコロナ禍で失ったものをある程度カバーしてくれる可能性があるのではないだろうか。
いずれにせよ、この分野の栄枯盛衰のスピードは益々加速している。あまり追いかけすぎるのは疲れるが、一方でこうしたものによる社会のデジタル化やDXは、益々進んでいくのは間違いない。こうした新しいサービスにも、心の壁を作らずに触れておく姿勢はキープしておきたいものだ。
文:ネイティブ倉重
【著者】ネイティブ株式会社 代表取締役 倉重 宜弘(くらしげ よしひろ)
愛知県出身。早稲田大学 第一文学部 社会学専修 卒業。金融系シンクタンクを経て、2000年よりデジタルマーケティング専門ベンチャーに創業期から参画。大手企業のデジタルマーケティングや、ブランディング戦略、サイトやコンテンツの企画・プロデュースに数多く携わる。関連会社役員・事業部長を歴任し、2012年より地域の観光振興やブランディングを目的としたメディア開発などを多数経験。2016年3月にネイティブ株式会社を起業して独立。2018年7月創設の一般社団法人 全国道の駅支援機構の理事長を兼務。
次に読んでいただきたい記事はこちら↓
ネイティブ株式会社では、この度広島チームの人員を増員して事業を拡大していきたいと考えています。今回は特に「移住」を前提として「広島に行きたい!」と思ってもらえる方を優先して募集したいと思っています。(ただ、在住の方もご応募は可能です)