埼玉から北海道下川町に移住して、持続可能な暮らしを実践している小峰博之さんに、毎月自身の体験をもとに、暮らしの様子を寄稿していただく連載企画です!

※小峰さんは、「拙者」など忍者風の一人称で発信しています。真面目に語るのが照れくさくて始めたそうで、言葉の選び方にもその人柄が表れているようです。

Episode1:都市を離れて下川にたどり着くまで

拙者は、27年前(1998年1月)にお金に依存しない、支え合いや物々交換、自給自足による域内循環型の持続可能な暮らしを求め、北海道下川町に移住した。

身近にあるものを生かしながら、地域の方たちと互いのできることをおすそわけしあって暮らしている。

暮らしに必要な食やエネルギーもなるべく身近なものを生かしている。
春は山菜や野草、夏秋は野菜や木の実(たまに川魚も)、冬はシカ肉など、その土地で育つ、その時期にあるものを食べる暮らしを心掛けている。

エネルギーは、電気を太陽光発電で賄い、料理や湯沸かし、暖房などの熱を、薪、使われない木材、枯れ枝、燃やせる木質系ごみを燃料に使って、冬は薪ストーブ、夏は手作りのミニロケットストーブなどで賄っている。

でも無理をせず、時間のないときは料理にカセットコンロも使うし、発電を生かして電子レンジも活用している。

10年前(2015年)からは北海道和種馬(ドサンコ)のハナも飼って、域内循環型の暮らしに生かしている。
愛馬ハナは拙者を乗せて、毎日のように、町内のあらゆる施設や民家を巡る。

園児、高齢者、児童生徒、発達障害のある方たちなど、さまざまな人たちと乗馬やひき馬、餌あげなどの体験を通じてふれあう。

各地区の民家や施設、森林で草刈りを兼ねた放牧も行い、馬がいることで人が集まり、近所同士や多世代の交流を生み出し、草はハナの餌として循環する。
馬糞は土壌改良のたい肥として、拙者たちだけでなく希望者にも配って活用している。乾燥した馬糞は燃料にもなる。

一方、拙者とハナができる「馬のある暮らし」のおすそわけのお礼に、相手の「暮らし」をおすそわけしていただいている。
野菜や米などの農作物、手作りの菓子やパン、コーヒー、牛乳、手作りの馬糞収納袋、魚、薪、果物などさまざまなものをいただく。

おすそわけだからこそ得られる「豊かさ」がある。

域内循環型のおすそわけの暮らしは、それぞれの得意なこと、好きなこと、必要と思うことを生かせばよいと思うが、拙者の場合、その手段の一つが「馬」になった。

拙者は大人になるまで自給自足や域内循環の暮らしとは無縁の生活を送っていた。

幼いころから自然と動物は好きだったが、大阪や東京の都市で育ち、買ってきた菓子を食べながらテレビゲームで遊ぶことも多々ある少年だった。

意識が変わり始めたのは中学1年のとき、母が病死したことで親に依存した暮らしから自立を考えるようになった。
当時は父の考えに影響を受けて、大学に行って就職してお金を安定的に稼ぐことを考え、高校は当時住んでいた東京都内の家から近い進学校に通った。

ところが父が建てた埼玉県川越市の実家に引っ越すことになり、そこから都内の高校まで毎日往復5時間掛けて通うことになってしまった。
人混みにまみれ電車を乗り継ぎながら通学する中、「自分は何を目指して勉強しているのか」「人は何のために働くのか」「もっとシンプルに生きたい」と考えるようになった。

お金に依存し過ぎた暮らしにも危機感を持つようになった。
お金は暮らしに必要なものと交換できることで価値が生まれるけど、暮らしに必要なものと交換できなければ価値がないと思ったからでござる。

在学中に進みたい道は見つからず、卒業後は実家のある川越市で、新聞配達やマクドナルドでアルバイトをしながら、自分の生きる道を探り続けた。

2年半考え続けた結果、「生きていくためには、必要な資源が身近にあることが重要で、資源豊かな地域で持続可能な暮らしを目指し、そのために必要なことをする」という結論にたどり着いた。

どこに住むべきか考え始めた矢先、近所のお兄さんが下川町に移住したことを聞き、その町はマイナス30度以下まで冷え、雪も多く、町の9割は森林で自然豊かであることを知った。

その未知の世界に興味を持ち、当初ほとんど面識がなかった彼のいる下川町に勝手に押し掛けた。

下川町の暮らしは、一の橋という小さな山間の地域で、お金も物もない、家もない、仕事もない、知識も経験も人脈もない、誰かを頼らなければ何もできない中でのスタートだった。

「人に助けてもらって、その分自分のできることでお返しする」という考えで、地域の方々に自分のできることをお手伝いし、住む場所や食べるものを分けていただきながら暮らしてきた。人に頼る分、人脈も広がっていったし、さまざまな暮らしの知恵も学んだ。

山菜や木の実、キノコなど身近な森林の恵みを生かして暮らすうちに、身近な自然を大切に守り育みながらその恵みを生かすことで、無理なく生きていけることも知った。支え合いと森林の恵みで人は生きていけることを下川町の人々と森が教えてくれた。

2007年12月に妻と結婚。

2008年には地域から相談を受けて地元新聞社の記者となり、下川町のまちなかに住居を移した。
給料は持続可能な暮らしのためにつぎこんでいった。

暮らしに不可欠な森林、薪ストーブ、太陽光発電パネルなど少しずつ基盤を整えた。

馬のある暮らしもその一つである。馬は草など増え過ぎるほどある身近な資源を食べ、人や物を乗せて運ぶ動力、良質な肥料になる馬糞を生み出す。

馬は人と心を通わせることで動く動物でもあり、馬がいることで心豊かに暮らせる。
将来、エネルギーや物などの資源が少なくなっていったとき、身近なものを循環できる「馬のある暮らし」は不可欠になる、

馬の文化を絶やしてはいけないと思い、飼うことを決意した。

高卒後に進路を決めず、立ち止まって考え続けた2年半があったからこそ、自分が目指すべき道をみつけることができたし、直感を信じて行動したからこそ、下川町に移住し、自分らしい生き方ができている。

この連載では、身近なものや馬を生かした暮らしに触れ、下川町ならではの心豊かな暮らしの可能性を伝えていきたいでござる。ニンニン。

text:小峰博之
photo:小峰博之 &下川町の皆さん・小峰さんと関わってきた皆さん

彼は最初から「仙人のような人」だったわけではなく、都会で普通の少年時代を過ごしていたということに驚きました。自分の心の声に従って進み、積み重ねてきた経験が、今の小峰さんを形作っているのですね。彼の生き方が、これから移住を考える方々・暮らしを見つめ直したいと考えている方々の参考になれば嬉しいです。

下川町移住コーディネーター・立花

ご興味がある方は、小峰さんのコラム「道北をつなぐ馬」もご覧ください。

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