コロナショックが社会の仕組みの変化を加速させている。現時点でその典型といえるのが、テレワークの普及と、この「ハンコ問題」だ。菅新内閣でもデジタル化はその政策の中心に位置づけられ、いよいよその実現に現実味がでてきた。

やらない理由がみつからない「電子契約」

発端は緊急事態宣言期間の在宅勤務中にも、「押印」のためにわざわざ出社を余儀なくされる人が多いことだった。そもそも日常的な業務でも、押印手続きの非効率さは以前から指摘されていた。また数年前から最大手の「クラウドサイン」を始めとする電子契約サービスを提供する事業が本格的に拡大し、国内でも既に7~8社がしのぎを削っている。それらを利用する企業の数も着実に伸びてきていて、特にコロナ渦中の3~4月は爆発的に伸び、国内で10〜15万社以上が既に導入しているのだそうだ。

弊社でも決して特段早いほうではないが、昨年11月頃から利用している。率直に言ってそのメリットは非常に大きく、もう以前には戻れない。
というのも、郵送や押印の手間がなくなったのはもちろん、収入印紙代が節約できるのも非常に大きいからだ。(印紙がいらない理由の説明は、こちらにお任せする)
我々のようにライターやカメラマン、Webディレクターなど数多くのフリーランスの皆さんと共にする業務が多い業態では特に、そのメリットは非常に大きい。利用する以前は「本当に大丈夫なのかな?」という不安も拭いきれず、導入する決心まで少し時間がかかってしまった。今ではその決断が遅さが悔やまれるくらいだ。また自治体や行政府との受発注や、金融機関などとの契約は、ご多聞にもれず未だにハンコが必須。コロナ禍中も自宅に持ち帰ったハンコで、何通かの書類に押印するのが不可避だった。

今回のコロナショックをきっかけに堰を切った「電子契約」の普及。おそらく日常的な契約については普及が更に加速し、もう後戻りすることは無いだろう。
そしてこの問題は、近い将来、一気に「最終局面」に至るだろう。

「印鑑証明書」という”ラスボス”の存在


コロナショックで、緊急融資や補助金の手続きを進めた企業は少なくない。そうした重要な手続きに必ず現れて立ちはだかるのが「印鑑証明書」という”ラスボス(最大の敵)”だ。
融資手続きには当然「実印」が必要だが、その実印自体が本物かどうかを証明する「印鑑証明書」も必須だ。個人の印鑑証明書の取得は、今やコンビニでも可能なくらい便利になっているが、法人の場合はそうは行かない。原則、最寄りの法務局に足を運ばなければ入手できないのだ。とはいえ実は、手続き的にはオンラインも可能ではある。しかしそのためには事前に法務局に足を運んで、「電子証明書」という暗号鍵ファイルを入手しなくてはならない。しかもその電子証明書は有効期限が限られていて、期限の長さによって2,500円〜最大16,900円の費用がかかる。またその手続は「専用ソフトをダウンロードして、あれをして、これをして・・・」という調子の、これでもかというくらいの複雑怪奇さ。更には「WindowsPCのみ対応でMacは対象外」というオチまでついている。(※詳細の手続きはこちら)。つまり、利用できる人はほぼ皆無に近いし、今回のコロナ禍のような緊急の場合には、実質的に全く機能しない。
もちろん今の制度上では、印鑑証明書が偽造されたり、不正入手されるようなことは絶対にあってはならないことなので、ある意味「苦肉の策」で作られたのかもしれない。今の仕組みの悲惨さを今さら責めるつもりは毛頭ない。しかし「印鑑主義」という制度が、ここまで事業者の手かせ足かせになっていることは、経験しないとなかなか実感しづらいのも事実だ。実際にそのあまりにも非効率な手続きをやらざるを得ない立場に立つと、冗談ではなく一種の「絶望感」すら感じるほどだった。ここにメスが入るという今の状況は、ようやくかという感じはあるものの、心から歓迎する気持ちのほうが遥かに大きい。

DX(デジタルトランスフォーメーション)の観点から見た「ハンコ問題」


以上の議論は、世の中の仕組みをアナログからデジタルへ移行し、その利便性が高めるという「デジタル化」の範疇の話しだ。
一方で、この「ハンコ問題」は、その問題の根深さ故に、解決できれば多くの人にイノベーションをもたらす「DX(デジタルトランスフォーメーション)」となるだろう。

補足;「デジタル化」と「DX(デジタルトランスフォーメーション)」の違いについては、こちらの「ケイタブログ:「デジタル化とデジタルトランスフォーメーションの違いについて」が非常に分かりやすく、オススメしたい。

DXとは単なる「デジタル化」を超えた本質的な変化を意味するものだ。それは「手続きが簡素化して時間とコストが節約できる」というレベルを超えて、もっと大きな質的な変化を意味する。もちろん、それは今までより遥かに良くなるということだ。このレベルでハンコ問題を考えるには、先ほど述べた印鑑証明というラスボスを退治した次のフェーズに思いを馳せるべきだ。すなわち、電子契約によって、”効率化”以上に、生活やビジネスそのものが”質的に向上”するかということなのだ。

この観点でこのハンコ問題を考えるときに、一つ上げておきたい「押印体験」のポイントがある。


経営者であればその会社の規模に関わらず誰もが、融資・出資・業務提携などなど様々な重要局面で、想像以上の頻度で「実印を押印」する経験をする。個人の立場でも、例えば住宅ローンで何千万円の契約をするときに、緊張しながら実印を押す経験をした人も少なくないだろう。このときの何とも言えない重く緊張感のある体験は、心理的に深く刻まれる性質のものだ。私自身も勿論、何度か経験している。これは今現在のデジタル技術ではなかなか再現できていない。故に、仮にもし今の全ての押印シーンが、現在のレベルのデジタル技術に置き換わった場合、この「深く刻まれる体験」そのものが失われてしまう可能性は否めない。

そもそも、そんなもの不要だという意見もあるだろう。自分としても、だからといって「やっぱりハンコは全面的に残すべきだ」とは微塵も思わないので、そこだけは誤解を招きたくない。しかし、契約や約束を交わすシーンで、自分の気持を確認しコミットメントを再確認すること自体は、契約の内容や大きさによってはやはり必要なのではないかとも思う。会社を設立したり、業務資本提携を結んだり、それに伴う資金調達をしたり…今まで体験した様々な局面で、ある時は意気揚々と、ある時は胸に迫る重責を感じて押したあの「押印体験」は、自分にとっていい意味で大きな糧になっている気がしてならないのだ。もちろん内容によってではあるが、この体験が全く無い「ワンクリック」だけで済んでいたとしたら…。正直、何とも言えない不安感がこみ上げてくる。

願わくば次世代の電子契約システムが、こうした「押印体験」も”込み”でデジタルで実現できたら理想的だ。その新しい体験が、契約相手や社会に対するまっとうな責任感や貢献感として我々の胸に刻まれて、自身の仕事や活動の価値をしっかりと感じられるようなものになれば、まさにそれはDX(デジタル・トランスフォーメーション)と言うべき価値の変革になるに違いない。もちろん一気にそこまでいかなくとも構わない。今の絶望的な煩雑さから開放されるだけでも十分希望は感じるが、これだけ大変な状況の中での変革であるなら、是非ともそのレベルまで想いを巡らせてみたい。

また、アフターコロナの世界にこのレベルの変革が数多く待っているとしたら、まだまだ続きそうなこの状況も耐える価値があるのかもと思えてくる。DXの議論は、常にそのレベルでの想像力を求められるのではないだろうか。

文:ネイティブ倉重

【著者】ネイティブ株式会社 代表取締役 倉重 宜弘(くらしげ よしひろ)
愛知県出身。早稲田大学 第一文学部 社会学専修 卒業。金融系シンクタンクを経て、2000年よりデジタルマーケティング専門ベンチャーに創業期から参画。大手企業のデジタルマーケティングや、ブランディング戦略、サイトやコンテンツの企画・プロデュースに数多く携わる。関連会社役員・事業部長を歴任し、2012年より地域の観光振興やブランディングを目的としたメディア開発などを多数経験。2016年3月にネイティブ株式会社を起業して独立。2018年7月創設の一般社団法人 全国道の駅支援機構の理事長を兼務。