はじまり

「北海道・富良野ワーケーション研修への参加者募集」というお知らせを、イントラで見つけた。2020 年 4 月入社社員の中から希望者を募り、希望者 6 名×3チームを編成して 3 泊 4 日で富良野市へ研修に出かけるのだという。

北海道の大自然の中で行うワーケーション。楽しそうだ。ふだん顔を合わせることがほとんどない同期の仲間とも、腰を据えて話をする時間が取れるかもしれない。行ってみたい。

参加資格は「リモートワークが可能な業務に従事していること」「当該プログラムに参加す る上で業務に支障がない旨を上⻑が承認していること」だという。まだまだ半人前以下の僕が、業務を離れて 4 日間のプログラムに参加したいなどと申し出 たら、マネージャーは何と言うだろう。そんな不安が頭をもたげた。

それでも、期間中には富良野自然塾の環境教育や地元の高校生との交流プログラムの間に、 通常業務の時間も確保されている。これは仕事であり研修だ。思いきって手をあげてみることにした。

僕たち 2020 年 4 月入社組は、コロナ禍の中という特殊な環境で会社に入った。入社の翌日から、自宅でオンライン新入社員研修を受けた。 研修期間を終えて正式な配属を受けても、出社率は 30%程度だった。週に 1 日か 2 日会社 へ行き、教育係の先輩から指導を受けながら仕事をする。残りの日は、訳も分からぬまま自 宅で 1 人業務にあたらなければならない。チャットツールやメールで何でも聞いてくれと 言われても、何を聞いたら良いのかすら分からなかった。

全社に 60 人以上いるはずの同期にも、ほとんど会うことはなかった。ただでさえ大学時代 からコミュ障キャラだったのに、これではさらに加速してしまいそうだ。

勇気を出して富良野ワーケーションへの応募を申し出ると、マネージャーは拍子抜けする ほどあっさりと OK を出してくれた。あ、ああありがとうございます、と思わずかみながら お礼を言った。
「お前がこんなに前のめりで意思表示をするなんて 1 年以上見てきて初めてだし、第一これで OK を出さなかったら俺の管理能力が問われるからな」とマネージャーは笑っていた。 がんばろう、と思った。

旅立ち

11 月のある日、僕らは同期 6 人だけで富良野へ降り立った。研修と言いながら、人事の人は誰もついてこない。事前の説明会でも「何かあっても自分達だけで解決しなさい」なんて言われている。不安と期待が入り混じる、不思議な気持ちだった。

いろいろな部門から集まった同期は 6 人。僕を入れて男 4 人女 2 人、事前説明会で初めて直接言葉を交わしたほど、関わりはなかったメンバーばかりだ。マンション事業部からは僕 1 人で、他はビル事業部や管理本部、商品開発部、大阪の支店から来たメンバーもいる。

バスを降りた富良野駅まで、富良野自然塾の中島さんという男性が迎えに来てくれた。こなれたアウトドアファッションで、見るからに富良野自然塾の人、という雰囲気だ。

そのまま富良野市役所へ連れて行かれたかと思えば、2階の一番奥にある広い応接室で僕 らを待っていたのはまさかの富良野市⻑だった。ビシッとスーツを着た市⻑は 67 歳。社会的地位はもちろん、親よりも、社⻑よりも年上だ。僕たちはたいそううろたえた。こんな時に、どんなふうに振る舞ったらいいのかは全く分からなかった。 ガチガチに固まったまま表敬訪問を終えると、地域振興課の松野さんという男性から、スケジュールの確認とともに富良野市での生活について色々と教わった。飄々とした雰囲気の松野さんの説明は簡潔で分かりやすかった。僕たちを迎えるために、たくさんの人たちがいろいろな準備をしてくれていたのだと分かった。

次のプログラムは富良野演劇工場だった。 スキンヘッドの太田工場⻑が僕らの講師だ。身振り手振りを使いながら、よく通る大きな声で話す。いかにも演劇人、という感じだ。コミュニケーションワークショップと言うプログ ラムを受ける。コミュ障の僕には重たいし何だか気恥ずかしい。それでも何とかこなした。

2日目

翌日からも、目まぐるしい毎日だった。富良野の森の中を歩く。中島さんの話を聞きながら、 46 億年の地球の歴史を考える。自分の小ささを知る。

富良野の大人たちは、みんなキャラが濃い。何というか、みんな揺るぎのない自分を持っているような気がする。富良野という土地がそうさせるのか、主体的に生きている人というのはそういうものなのか、僕にはまだ分からなかった。

そんな大人たちに圧倒されながら、僕はあらゆるプログラムに、おそるおそる取り掛かる。 いや、ふだんの仕事だってそんな感じかもしれない。同期のみんなを見ていると、僕より数段器用にこなしているように見える。僕はコミュ障な上に、要領の悪いビビりなのだろうか。

午後は地元の高校生へのプレゼン実習だ。自分の仕事について説明し、高校生のうちにやっ ておくべきことを提案する。入社 2 年目の若造でも、高校生から見たら立派な社会人だ。僕らの話なんて聞いてくれるのかという心配をよそに、みんなものすごく真剣に聞いてくれた。富良野って、いいところだなと思った。

ワークの時間になると、持ってきたノート PC を開いてメールをチェックする。オンライン会議はホテルの自室にこもるしかないが、富良野市内にはいくつかのコワーキングスペー スがある。そんな場所で自由に仕事をするのもなかなかいいなと思った。

地元の一般の人たちとの交流会もあった。鉄板焼き店の店主とかスナックのママとか、自分が旅行に来ても絶対に話すことはなさそうな人たちがたくさん来た。ディープな人たちが、 ディープな話をしてくれる。富良野という土地が、また少し見えてきたような時間だった。 会合を開いてくれたのは会社経営者の齋藤さんという人で、にこにこ笑いながらみんなの話を聞いていた。ここにいる人たちは全員、齋藤さんの声かけで集まったのだという。コミ ュ力の塊みたいな人だな、と思った。

農作業の手伝い、なんていう体験もあった。収穫したカボチャを選別する作業だ。 どれも同じように見えるカボチャだが、大きさごとに分けたり傷物をよけたりする。コンテ ナいっぱいにカボチャを入れると、とてつもなく重かった。たくさんのカボチャを軽そうに 担いでいる農家さんは、めちゃくちゃかっこいい。大して役立っているとも思えない作業にも、ありがとう!と威勢よくお礼を言ってもらえた。 今朝ホテルの朝食で出てきたカボチャのポタージュスープが異様においしかったのは、こんな素敵な人たちが作ったカボチャだからなのだろうか。

3日目

3 日目の夜には、同期のみんなで焚き火を囲んで話をした。 スマホはどこかに置いて、ゆらめく火を眺めながらじっくりと語り合う。同期とそんな時間を過ごしたのは初めてだった。これまではオンライン飲み会を何度かやった程度で、みんなで集まったことはない。考えてみれば入社して 1 年半も経つのに、リアルに食事をしたこ とがある同期なんて2、3人だ。 自分でも不思議なほどリラックスして、同期たちと話をしていた。入社からこれまでのこと、 クライアントのこと、仕事で悩んでいること。だいぶ優秀そうに見えたメンバーたちも、みんな僕と同じようなことで戶惑ったりつまづいたりしていることを知った。

明日はもう帰るんだね、と誰かが言った。黙ってうなづいていると、隣に座っていた女子が、 僕にだけ聞こえるような小さな声でさびしいねとつぶやいた。そ、そ、そうだね、とまた盛 大にかみながら、僕は答えた。

最終日には、植樹プログラムがあった。ゴルフ場だった土地を森に還すために、小さな苗木を植える。こんなので本当に大きな木に育つのかな、と心配になるくらいの苗だった。 できるだけていねいに土をかぶせた。

僕が配属されている部署は、マンション事業部の中でも比較的大規模な開発を担当してい る。駅前の再開発や、タワーマンションなんかを取り扱う。

コロナ禍で、人々が不動産に求めるものは大きく変わった。リモートワークや時差出勤が当たり前になるにつれ、都心のビルや住宅の一人勝ちの時代ではなくなって来ている。僕たちデベロッパーは、土地と人との関わりを見つめ直しながら、持続可能な社会、持続可能な街 を作っていかなくてはならない。富良野へやってきて、改めてそんなことを思った。そして初めてやってきた富良野と言う土地に、不思議な愛着がわいている。

プログラムの最後のふりかえりとして、今回の総括を漢字一文字で表すと言うお題が出された。5 人の同期はそれぞれこう書いた。

聴・勇・感・繋・談

昨夜の焚き火で、さびしいねとつぶやいた女子は「感」と書いている。たったあれだけのことで、急にその女子のことが全力で気になっている。3 年くらい彼女がいないからといって 動揺しすぎだ。

いや、でもそんなことは後回しだ。僕が書いた漢字は「伝」。 自然環境、コミュニケーション、農業、高校生や地元の人たちとの交流。いろんな体験の中で感じたのは、何かを伝えることの大切さだった。僕は自分の思いや考えを言わず、じっとだまっていることが多い。

でもそれではダメなのだ。ここ富良野でそれを知った。

最後に

クライアントさんに全力で挨拶しよう。

マネージャーや教育係の先輩に、自分のアイディア を提案しよう。

世話になっている人に、感謝の心を表現しよう。

そしていつか大切な人ができたら、自分の気持ちをまっすぐに伝えよう。

そして森で植えたあの小さな苗木がどんな木に育っているのか確かめるために、またいつか大切な人と一緒に富良野に帰ってこようと思う。

 

 

この物語は、実話を元にしたフィクションです。

ライター:羽田さえ