震災や豪雨災害の経験が、強い地域をつくっていく

ー2011年に東日本大震災で津波が来て、一昨年には大雨の被害もありました。災害の前後で変化はありましたか。

もちろん変化はありましたね。それまでは大災害が来ると思っていませんでした。人は忘れる生き物です。100年前にも大津波があったそうだって言い伝えられていても、何か聞いたような気がするなって感覚になっている。でもよく聞くと、60年前にも洪水があったとご存知の人がいらっしゃって、やっぱりそういうときには隣近所に命を助けられたそうです。

その時に市役所に苦情の電話を入れても、何ともなりません。行政はあてにならない。自分のことは自分で、町内のことは町内でやらないといけない。あそこに足の悪いおばあちゃんがいて、こっちに一人暮らしで逃げるのも大変なおじいちゃんがいて、誰が手助けするのかを普段から決めておく必要があります。

地域の連帯が住民の命を救うということを、行政は支援していきます。災害を通じてより強く感じていますので非常に重要だと認識しています。隣近所の人間関係を良くしましょうってあまり派手さはないですが、それぞれの人生、生活にはやはり地域の繋がりが大事じゃないかと訴えてきました。

ー敬老会で片足悪くなっちゃったんだねとか、草刈りに出てた人が来なくなったねとか、やっぱりそういう隣近所の情報共有、変化を見逃さない日頃の付合いが重要ですね。

お年寄りには外に出ることを推奨しています。認知症にならないためには外に出なくちゃいけない。外に出て地域の公民館に集まって体操したり。私も市内各所を回って手作りのお料理を食べながら、笑ってこういう話をしています。「うちに引きこもっちゃだめですよ。」って。でも特に男の人が出てこない。人付き合いが苦手な人が多いし、これをどうするかが課題ですね。

まちとしては100年のビジョンも必要ですけど、それよりも毎日の生活が大事です。やっぱり人間関係ですよね。家族は仲良く、子どもを可愛がって、隣近所のおじいちゃん・おばあちゃんにも優しく声かけて、そういった付合いがなくなってしまうと寂しいですよね。お金があれば何とかなるけど、いざとなったときに隣近所が手を貸してくれない。

一人ひとり住んでいる人の問題です。優しい人がいっぱいいるまちにしましょう。そうすれば若者たちはもっと地域に住んでくれます。ちゃんとここで生活してもらえるように、一人ひとりが人格を磨かないといけないと、話をしています。

人が住むためには医療体制も必要だし、介護体制も教育水準も上げていかないといけません。トータルで久慈に住んで良いなって思ってもらえるまちにするにはどうするか。そのためには制度面でのアピールももちろん必要ですが、そこに住む人たちについてどう感じるかが決定的に重要です。

住民参加+外からの刺激でまちは変わる

ー震災後にどうして市長になろうと思ったのですか?

震災復興のプロセスに対して、地域住民の不満が溜まっていたんです。行政は、それを上手く拾いきれずに、トップダウンでモノゴトを進めようとしていました。わたしは、もっと市民目線で市民と話しながらボトムアップで進めていく必要があると感じました。できることできないことを市民と率直に対話することこそが地方自治だろうと考えています。そういったことを訴えて選んでいただきました。

実際に市長になってみると大変です。市民目線だ、住民参加だということを愚直にやっていくには時間も体力も要ります。100万都市じゃ無理でしょうけど、久慈市くらいの規模はちょうどよいと思っています。あまり小さすぎると逆に制約がありすぎて厳しいですよね。3万人程度の人口ならば、住民参加で言いたいこと言えるし、実際にやる際には一緒に汗もかいてもらうこともできる。

震災に関わらず、今まで通りのやり方ではだめだと思っています。市民参加はもちろん重要ですが、もっと外の人たちから協力してもらわなくちゃいけないし、井の中の蛙だとまちは停滞してしまいます。幸いなことに、地域おこし協力隊制度や地方創生シティマネージャー制度で良い人たちに入ってもらってますので、外からの刺激をどんどん取り入れていきたいですね。

土曜日に会議室に集い、シティマネジャー千田良仁さんや、在京久慈出身者が集うふるさと会をホストした、居酒屋くろきんを営む株式会社ゲイト代表取締役五月女圭一さんの話に耳を傾ける久慈市役所幹部のかたがた

ーあまちゃんのおかげで、外からの刺激が増えましたか?

朝ドラは画期的ですよね。それまで岩手の久慈ってどこにあるの?と言われてばかりでした。ドラマになって「じぇじぇじぇ」も有名になって、久慈市も知名度が上がりました。たくさんの人たちに来ていただいて、良いまちだって言ってもらって自信が出てきました。

もともと先祖代々、親からもこんなところは何もないと言われてきました。北三陸は米が取れないから貧しかったのですね。米文化がなければ余所に出稼ぎに行ったり、遠洋漁業で生計を立てるしかないわけですから、地元への愛着とか歴史とかが育まれる機会もあまりなかったと言えます。

でもあまちゃんで、宮藤官九郎さんが素晴らしい脚本を書いてくれて、地元の良さであるとか人の繋がりによってまちが成り立っている様子を見せてくれたんですね。それを活かさない手はないと考えてます。主演ののんさんも毎年久慈に来てくれていて、第二のふるさとだと思ってくれているのも有り難いですね。